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スリランカへ初めて調査に入って、ここでも両手を合わせる合掌があいさつの方法と知ってほっとした。昔インドシナ半島のどこかで、アメリカの戦車の前で合掌している老婆の写真に「アメリカ軍の兵士に命乞いをする老婆」という説明をつけていた日本の大新聞があったことも思い出した。ほんとうはあの老婆は、よくいらっしゃいました、と歓迎していた、と考えるのが普通である。 一つの国を理解するのは実にむずかしい。スリランカには、私の働いている財団が「サルボダヤ」という農村の開発運動を支援している。大きい支援額の途上国に対しては、私が自分で成果を見に行くことにしているのだが、この運動は南西部の人口1万ほどの村で、道路や幼稚園や貧しい人たちの家の整備、宗教(仏教)教育による道徳や知識の普及、小さな手仕事的な産業の振興、村単位の貯蓄制度の整備などを住民参加の形で目指している。 村の幼稚園に行くと、必ず幼稚園の先生が父兄や関係者の前で会計報告を読み上げる。「この幼稚園建設には、日本のお金をサルボダヤを通じて5万円もらいました。残りは私たちが集めて、40万円になりました。建築も皆で働いて一生懸命作りました」という調子である。自助努力を必ず要求しているのはすばらしいことだが、そうなると労賃はほとんど計算していない、ということだから、私たちの出しているお金は材料費の一部だけなのかということになってしまう。 病院建築、橋の建造のようなことなら、全額でいくら、とはっきりしているのだが、それをやったら自助努力は少しも養成されない。しかし常に運動の一部を助けている、ということになると、総額の算定はまことにむずかしくなるのである。 スリランカに入る前に、「あの国では、四輪駆動車を持っている人は、一番お金持ちですよ」と聞かされていた。普通車は200%、四駆は300%の税金が掛かるから、パジェロが1500万円もする。NGO(非政府組織)活動をやっている組織が四駆を何台も持っている時には、どこからそんなお金が入るのか考えたらいいということだ。しかし私にいわせると、表通りはよく舗装されていても、多くの国では、一歩でも奥に入ると泥路(みち)ということが多くて、四駆でなければ村へは入れない。その点では、アフリカでもアジアでも私は四駆の所有に甘くなる。 申請が来ているあるNGOの事務所をコロンボ市内に訪ねて話を聞いている時だった。説明の間に、一人の男性が私の肩ごしに有名なセイロンのお茶を出してくれた。その席にはたまたま私が現地で雇った調査助手がいた。彼はオフィスを出る時、私にささやいた。 「お茶を出した男を見ましたか?」 「いいえ」 「あの人は警備員なんです。警備員の制服を着ていました。この土地では警備員がお茶を出すことが多いんです。ほんとうに民間の支援を受けて仕事をしている貧しいNGOなら、何で警備員を雇う必要があります?」 別のオフィスでは、建物全体に空調設備がなかった。 「あそこは質素でしたね」 と私は言った。 「コンピューターの部屋にしか空調はありませんでした。質素でいい感じでしたね」 「この土地では、暑さは主観なんです。空調は、入れたい人は入れるし、どんなに金持ちでも、冷房は要らないと思えば入れないんです。だから空調のあるなしで生活の贅沢度(ぜいたくど)を推測するのは危険です」 その言葉が真実であることを知ったのは、現大統領と大統領選を争って敗退したスリマ・ディサヤナケ夫人に会いに行った時である。スリランカの現代史は暗殺の連続であった。この女性の夫で大臣だったガーミニ・ディサヤナケ氏も、やはり選挙運動中、自爆ゲリラの爆発で殺されたのだが、夫人自身は弁護士で今も人道的な仕事をしており、夫の死んだ日の事を淡々と話してくれた。 夫の死後、ひっそりと暮らしている夫人の家は優雅に整えられていたが空調はなかった。そして夫人は、帰りのタクシーを呼んで下さいという私に、ベンツが壊れているので息子の四駆でお送りします、と言ってくれた。 スリマ・ディサヤナケ夫人だけではない。現大統領チャンドリカ・バンダラナイケ・クマーラトゥンガ夫人は、1960年7月に世界で初めての女性首相に就任したシリマウォ・バンダラナイケ夫人の娘だが、彼女は父と夫をそれぞれ暗殺されたことになる。スリランカでは、大統領の対抗馬が男なら、今でも殺されてしまうのだ、という人さえいる。だから対立候補は怖くて出馬できない。 女性の地位が必ずしも高くない国には、上流階級にこうした「超女性」(もちろん医学的な意味ではない)の政治家が出るのだという文化人類学の説もある。インドのインディラ・ガンディー夫人もそうだし、スリランカでは現在実の娘と母が大統領と首相の座を占めている。日本ではとうてい考えられないことだ。 スリランカの人は、欧米人や日本人が考えるような民主主義は見たこともないし、当然望んだこともないのだ。民主主義が実行されている国など世界でほんのわずかなものだ。世界中が民主主義にならなければいけない、とするアメリカ型の思考は、壁にぶち当たるケースも多い。 人も自分と同じことを望むはずだ、などと考えたら、援助の仕事はただちに大きな対立を生むか、金銭が漏れるか、根本から挫折する。そしてまた、日本人は決してこうはならない、と考えるのも過信である。貧しくなれば、疾病などで同じような悲惨な道をたどる。用心深く相手を学び続けて謙虚になる以外に、国際関係を辛うじて続けていく方法はないのだ。
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