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一九九八年四月三十日 朝早く、エジプト、ヨルダン、イスラエル、イタリアをいっしょに旅行中だったグループが、日本帰国組と、フランスのルルドに廻る組とに分かれて発った。 旅の初めに少し固くなっていた人も、帰りには表情がほんとうに柔らかくなって美人になっている。明らかに視力が出たようにみえる女性もいる。人間というものは楽しいと体がよくなるものらしい。 昨晩は食後にお別れ会をして、そこでボランティアの方たちにお礼の気持ちを伝えた。強力は女性を混ぜて六人。そのうち二人は山岳部。 ひどくお腹を壊して土地の病院に行った人も、痩せる目的でエジプトでわざと生水を飲んだのにお腹を壊さなかった人も、両方表彰する。 私はイタリアで日本財団の仕事を二つ果たすために、財団からボランティアに来た三人の職員と共に残った。 午前十一時からグレゴリア大学で「現代社会における哲学研究のための笹川良一記念講座」基金の設置のための調印式がある。この「笹川良一記念講座」という名称は、向こうが望んで来たもので、拠出金額は百五十万ドル。この利子によって一年目にはカルロ・フーバー教授の「論理言語学史」という講座がスタートする。 グレゴリア大学は一五五一年にイグナチウス・ロヨラによって設立された神学大学の最高峰で、大学院生が二千九百人、学部学生が七百人だそうで、ここを出るには七カ国語ができなければならないが、毎年百人以上が博土課程を取るのだそうだ。九割がカトリックだが、教会史を専攻している人たちもいるわけだから、キリスト教系だけでなく、他のあらゆる宗教からの留学生も多い。 私は自分がカトリックだから日本財団のお金がカトリック関係に行くケースにはだんまりを決め込んでいた。しかし今度のケースは、結果だけを伝えられて喜んだものである。 教授会の行われる厳かな部屋で、グレゴリア大学の学長で、バチカン科学アカデミー顧問のピタウ神父、日本から会議で来られている白柳枢機卿、駐バチカン日本大使、バチカン市国市長、イタリア高速道路協会会長、他銀行の頭取などの出席者の元で、調印式。記念に財団に対して、ギリシャ語やラテン語やヘブライ語など、多国語で書かれた聖書を頂く。お金の受け取りも出されたのでおかしくなった。その後、ピタウ神父と私の挨拶。ピタウ神父は一人でイタリア語や日本語でお話をされるので忙しい。 ここでおもしろい人に出会った。ラニエール侯爵夫妻である。アウシュヴィッツで他人の身代わりになって刑死したマクシミリアン・コルベ神父もこの大学の卒業生だということを、私がスピーチの中で触れたので侯爵夫妻が名乗り出てくださったのである。 一九七一年、私はコルベ神父のことを取材するためにローマにいた。その時、コルベ神父の名によって奇跡的な回復を願って叶えられた人たちのうちの一人だというラニエール侯爵の未亡人を訪ねた。こういう奇跡的治癒は、カトリックではない外部の医師によって証明されなければ、聖徳の証拠として列聖委員会に認められないのである。 ラニエール侯爵はその後別の病気で亡くなったが、私は未亡人に温かく迎えられたのである。その席にいたラニエール侯爵夫妻は、私が会った未亡人の、長男とその夫人であった。 式後、グレゴリア大学の博士課程の贈与式が行われる部屋で、すばらしくおいしい正式のお昼を頂いた。ピタウ神父はちゃんと「天皇・皇后両陛下のご健康」と日本側の人々のために祝杯を上げてくださった。こういう国際的な正式の儀礼を若い財団の職員に教えられるのはすばらしいことだ。食後にバチカンの奥庭を案内される。科学アカデミーの建物自体が一つの美術館。噴水も亭も門の浮き彫りも贅沢そのもの。美術の極限は、権力と富の偏在するところからしか生まれない、という原則は今でも変わっていないのは何という皮肉だろう。 五月一日 朝八時の飛行機でシシリーのパレルモに飛ぶ。パレルモにあるペドロ・アルペ社会研究センターには、日本財団から「ヤング・リーダー奨学基金」として一九九二年に二百万ドルが贈られている。 アルペ神父は日本に長いこと滞在した被爆者である。この施設はほんの数十人のためのもので、週に三日夜開かれるが、今日はメーデーでお休み。マフィアの力が強いこの土地で「力に屈することのない若手の政治家や行政官を育成すること」を目標に創設されたものだ。 空港で会った校長のディ・ジェンナーロ・ジェンニ神父は、ナポリの生まれ。麻薬の悩み深いコロンビアに長くいた後、インドで管理・運営の仕事をさせられた後、このポストを任された。 「マフィアの一人でも個人的にお知り合いですか?」 と聞くと「一人も」と激しく首を振った。浮浪児を育てていた別の神父が、それだけの理由で殺されたという。貧困と不幸がマフィアの温床として必要なのに、それをなくそうとする人は、それだけで消される理由なのである。
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