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三月六日付けの朝日新聞に「銀座にせせらぎを」「『湧水の会』具体案を区に提示」という見出しの記事が出た。 銀座の八丁目で洋品店を経営する勝又康雄さんたちが、銀座に防災と景観を兼ねて水路を作る計画がある。古い地図にあった三十三の水源のうち、十五点の水源を既に確認し、新たに五つの湧水のある地点も見つけたという。 これらの水を集めて水路を作り、普段は銀座を行く人にそのせせらぎを楽しんでもらい、緊急時には、防災用や飲料水にする。 この計画の元に、いろいろな案が考えられたが、今のところ、銀座の旦那衆のお気に召したのは、歩道を深さ二十センチ前後、幅三十センチから五十センチに掘って水路とし、それに強化ガラスの蓋をするものだという。区がゴーサインを出せばすぐにも実行できるし、管理も地域ぐるみでやるつもりらしい。そしてできればホタルも舞わせたい、と記事には書いてあった。 まあ、歩きながら、ガラス越しの地下に水の流れが見えるのはいいだろう。できれば水はせせらぎの音も聞きたいものだが、銀座にはもうこんな方法ででもなければ、小さな流れを作る場所もないのだろう。 ただホタルというのは可能なのだろうか。ホタルというものは、文明を嫌悪しているという感じで飛んでいるのがにくい。 若い時、夫と二人で南メキシコの侘しい草原というか疎林の中を車で走っていた。遠くに人家の燈火が赤く見えていた。もちろん電気ではない。竃の火だったかもしれない。 その疎林の中、ホタルは我がもの顔に飛んでいた。 それから数十年も経って、私はバングラデッシュに行った。サイクロンの被害がやっと収まったという時である。チッタゴンの傍の海岸では、高波に呑まれて死んだ夥しい牛が漂着したのをそのまま海岸で砂をかけ、上からコールタールを流したので、海岸には不気味な黒いこぶのような岡が出来ていた。 私たちはそれから夜汽車でダッカに向かった。速度の遅い列車だった。工場も何もない暗い林の中を、列車は喘ぐようにして走っていた。するといつのまにか、列車は無数のホタルの灯に包まれていた。ホタルの灯はあたり一面に大きく生き生きと動いていて、それは私が死後の世界を見ているような光景だった。 ふと、私はホタルの悪意のようなものを感じた。ホタルは、工場もなければ、水吐けもよくなくてあちこちに水溜りだらけのような未開な土地を好んでいる。そういうところなら、人間が何をしなくてもホタルは活発に増えて行く。 人間はホタルの里を懐かしがるが、ホタルがいるということは工業がないことなのだ。 そう思っているのは、私の誤った思い込みなのかもしれない。とにかく日本種のホタルなら銀座ででも増えるものかどうか、私はかなり楽しみである。
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