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富士総合研究所が発行している「ファイ」という雑誌を送って頂いた。その中に「新聞記事から生まれた『水で洗える介護住宅』」という記事が出ていて、「おや、私と同じ考えの人がいるんだな」と思った。 ロイヤル・ビルディング・システムズ・ジャパンという会社が沖島工業といっしょになって、どこにどんな汚物がついても、すぐ各室に取りつけられた蛇口からの温水で室内を洗い流すことができる家を考えた。市販にこぎつけるまでには、ずいぶん素材その他で苦労されたようだが、よく読んでみると、きっかけは、昔私がどこかの新聞に以前書いた記事だったという。 「そのころ、私が考えていたのは、部屋ごと洗える装置だった。どこに排泄物をなすりつけてもすぐきれいに洗え、部屋ごと乾燥できる仕掛けである」 と私は書いていたのだそうだ。 そう言えば、こういう部屋の開発がされていることを、私は途中で知らされていた記憶があるが、利己主義の私は自分の仕事にかまけていて、ついそのまま放置して忘れてしまっていたのである。だからこの会社と、開発者たちのことも全く頭になかったのである。 私は自分と夫の親たち三人と住んだのだが、舅はもう九十歳近い高齢で直腸癌の手術を受けた。その時作られた人工肛門をどうしても理解できず、腹帯の下に手を突っ込んで汚物を引きずり出して、その手であちこち触る生活がしばらく続いたのである。一日に寝巻と布団が三枚、四枚と汚れ、壁にも畳にも汚物が着くという日々は、小さな地獄であった。そんな時、私がこういう部屋のことを考えたのであった。部屋中、どこでもシャワーと石鹸の液で洗える。そしてその後すぐ強力な温風で乾かすことができれば、介護する人も楽だし、病人や高齢者も臭気を気にしたりせず、尊厳を保つことができる。 個人でも、もちろんこうした部屋を作れたら理想だし、特別養護老人ホームなどのうちの幾部屋かを必ずこうした洗える部屋にしておくと、ほんとうに便利なはずである。何より大切なのは、居住者も介護者も、毎日が億劫でなく軽やかな気持ちで生活を続けられることなのである。 この洗える部屋は、自分でも建てられる、という。もちろん私はまだ実物を見たことがない。でももしそれが実用化されて、便利だと多くの人に思われたら、舅の存在は大きかったことになる。 人はその時は、イヤだなあ、困ったなあ、と思ったことに、後で大きな意味を見つけることが多い。舅はその一時期の後、すべての手当てを人に任せるようになったから、もう汚物をなする心配はなくなった。そして舅は最期までほんとうの紳士であった。自分の好きなコーヒーを入れてもらうと、かならず付添いの人や傍にいる私にも「あなたもごいっしょにどうぞ」ときれいで穏やかな笑顔を見せた。
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