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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: お正月?この世で最高の贅沢な一日  
コラム名: 自分の顔相手の顔 108  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/01/06  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   幼い時、父が小企業の経営者の一人だったので、お正月はお客でいっぱいだった。三が日は母が座る暇もなく、お客のためにお酒を出し、肴を準備した。暮れにたっぷりお節の用意をしても、足りなくなって鶏肉の料理などをしていた母を覚えているから、後年、聖書を読んだ時、カナという村の結婚式で、イエスが足りなくなった酒を増やした、という初めての奇跡の話を、実感をもって読んだ。
 それに懲りて、私はお正月にもうちにお客をよばない。もうこの年になったら、くたびれて、自由な暮らしがしたいのだ、というのは、体裁のいい理由で、実は若い時から、お正月には逃げて旅に出ていたのである。
 しかし私は毎年密かな正月の楽しみ方はする。それは、家族でも仕事の関係でもなく、東京に住む一人暮らしの友達が、性別、年齢にかかわらず集まるのである。
 お正月を一人で暮らすのは、実に嫌だ、という人が多い。私は昔は三人の親たちといっしょに住んでいた。今は息子夫婦とも別に暮らしているから、老夫婦二人みたいなものなのだが、それでも私はまだ忙しく暮らしていてまともに家事もできないので、家の仕事を手伝ってくれる半分家族みたいな人がいつもいる。そういう人たちと、一人で東京に暮らす友達が、一月一日の夕方から集まってゆっくりとご飯を食べるのが習慣である。
 不思議なもので、元日が過ぎると、たいていの独り者も、ああ家族なんかいないのは却って気楽だ、と思って残りの休みを過ごすのである。元旦だけが、世間の誰もが家族だけで楽しく暮らしているような錯覚を与える不思議な魔の日らしい。
 昨年の私の年末など、ひどいものだった。二十八日に結婚のお広めがあった。これは楽しいものだったが、二十九日にも仕事があったので休みはまだ始まらなかった。三十日には郵便物の整理をして、夕方、親友とゆっくりお喋りをした。三十一日には月末締切りの原稿を書き、元旦の朝、人には言いたくないのだが、納戸の整理をした。納戸の中は他人に見えないからいいようなものの、なぜか、にせさつを作っているような気分になった。整理をしないと、出て来ないものがあったのだ。
 そして元日の午後は荷造り。翌日からシンガポールへ行くからである。こういう話をすると、皆、「いいですね」と言ってくれる。シンガポールへ行くということは、遊びだと思うからである。しかし向こうへ行くまでの飛行機の中で、私は部族虐殺に関する連載の原稿十五枚を書く予定をたてていたのだ。お書き初めの内容が、虐殺に関する文章である。そして外国旅行の支度の八〇%は書くための資料の分別作業である。
 他人の暮らしはすべてすてきに思える。しかし皆ほんとうの生活を覗けば、円満でも、大して幸せでもない。それでも、元旦に友達が集まって、食べて飲めて語れるのは、この世で最高の贅沢をしているのだ、と思っている。
 



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