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私は再びアフリカにやって来た。 去年政変があって、直前に計画を中止したコンゴ民主共和国。日本財団が農業改革に資金を出しているアフリカ十二カ国の一つマリ共和国。ここで今回「飢餓会議」が行われるのである。それにチャド共和国。 世界中の津々浦々には日本人の商社マンか技術者がいる。しかしチャドには日本人の修道女七人の他、商社マンもいない。日本大使館も領事館もない。将来地下資源がどれだけ掘り出されて、誰がどのような利権を計算して乗り込んで来るかは私にはわからないけれど、今のところこの国からは買うものもないし、相手が貧しくて買ってくれるものもないから、誰もこの国に立ち寄らないのである。 ヴィザが欲しければ、パリに三、四日いれば出してやる、ということだった。しかし誰があの宿泊費のべらぼうに高いパリに、ヴィザを貰うためだけに三、四日も逗留するだろう。日本人は皆、忙しいのだ。 それが最近、大阪に日本人の名誉領事さんをおいた領事館ができた。そこがヴィザの発給をするようになった。それで私たちの訪問も実現したのである。 カメルーンのドゥアラからチャドの首都ヌジャメナに着いたのは、夕暮れ時であった。飛行機の窓に白い蛾が襲来した、と私は感じたがそれはバッタであった。ホテルに着いても、ドアを開けるときマラリア蚊に入られるのと同じくらい、私はバッタに侵入されるのを恐れていた。 友人の日本人のシスターたちが幼稚園や学校をやっているライという田舎までは、約三百キロ。今は雨期のため道は寸断されているので、やむなくプロペラを一個だけ鼻先につけた九人乗りのセスナ機をチャーターした。 悪路というものは交通量は少ないのだが、そこを恐ろしい車が通る。古くて整備が悪く、積付けが下手で重心が初めから狂っている上にヘッドライトが片目というようなトラックが平気で走るのだ。陵路には日本では想像できないほどの危険があり、時遠三十キロを出せるような道はほとんどない。 修道院の付属の部屋に泊めてもらうことになり、私たちは日暮れ前から蚊取線香をつけ、懐中電灯を手元に用意した。自家発電は六時から九時まで。庭を横切って行くにも灯はない。 薄暗がりの中で庭のあちこちに蠢くものがあった。大型のごきぶりだ、と私はぞっとして光源を近づけて見た。それは何十、何百という小型の蛙だった。夕方になると虫を食べに出てくるのである。 突然私は旧約聖書の『出エジプト記』を思い出した。ユダヤの民を連れてエジプトを出ようとするモーゼを何度も騙すファラオを、神はその都度罰せられる。その中の二つが、イナゴと蛙の大群を発生させることであった。アフリカ大陵には旧約の光景が現実にあることを、私は眼前に突きつけられたのである。
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