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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 国会の問答?冗談じゃない空虚な行為  
コラム名: 自分の顔相手の顔 124  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/03/03  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   二月二十四日朝、テレビで新井将敬氏の自殺について、鳩山由紀夫氏が国会で代表質問をしているところを偶然中途から見た。
 氏は新井氏の自殺を「尊厳を取り戻す闘い」だったと言い、新井夫人が「主人は立派な人でしょう」と言ったという話を披露し、首相に彼の「死をどう思うか」を質問した。
 新井夫人が夫を信じているのは自然かもしれない。しかし首相でなくても、誰も今の段階で新井氏の「抗議の死」が当然だとか違うとか言いようがない。そういう場合、「他人」からどういう答えが出るかは、およそ想像がつくのである。死者を笞打たない程度の答えだけだ。本音が出るはずのない場で、しかも人間の深い哲学にかかわることを答えさせようとする。およそ空虚な行為だろう。
 国会は哲学を語る場ではない。哲学を持って行動する場だが、「今どきの国会のセンセイ方で、哲学などお持ちの方は、何人おられますかな」なのだと通は私に教えてくれる。
 それから鳩山氏は、閣僚の一人一人に、自分の職権を利用して、金銭的な利得を得たことがないかどうかを答えさせた。「ありません」とけんもほろろの答え方をする人もいれば、薄ら笑いを浮かべながら否定した人もいた。私もその場にいたら、笑いを禁じえなかった不遜な態度の一人だったろう。
 つまりこれはあまりにも幼稚な行為なのである。やっていない人は「やっていない」と答える他はないし、やっている人が「やりました」と答えるはずもないことだから、こういう質問や会話は、大人の配慮を持つ人には通常想像つかないものだし、やはりそれを思いついたというだけで鼻白まれても仕方がないことだと思う。
 これと似たような表現に「知る人ぞ知る」という言葉がある。実際に一度「私は学者として知る人ぞ知る経歴を持っておりますが」と自慢した人に会ったこともあるのである。ところが私はこの言葉を聞く度に、どうしても慎みなく笑ってしまう。「知る人ぞ知る」ということは、「知らない人は知らない」ということで、あんまり当たり前のことだからダジャレにもならないと思うのだ。そしてそんな幼稚な自慢をしなければいいのに、とこちらも大人気なく思うのである。
 個人的に新井氏はいい人だったのかもしれないし、「友を悼む」ということは誰にも許されていいはずだ。たとえ友が極悪人でも犯罪者でも、悼めばいい。しかしそれは個人的に悼めばいいことである。
 鳩山氏がこういう無駄な問答を国会に強いている時間分だけ、私たち国民は税金で議員たちに月給を払っているのだと思うと、やはり「冗談じゃない」と思うのである。
 鳩山氏がそれほど生命の尊重に心を使うなら、今でも公然と行われている年間数十万人の妊娠中絶を禁止する運動をした方が、即座に目的にかなっている。しかし氏がその運動に熱心だという話を、私は知らない。
 



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