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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 奇妙な算数?愛だけは与えても減らない  
コラム名: 自分の顔相手の顔 331  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/05/02  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私は義理堅い両親の元で育ったおかげで、逆に義理堅くなくなってしまった。義理だけを一生懸命に果していると、義理を欠かないということが一生の仕事と目的になりそうな気がしたのである。義理なんぞ時には欠いてでも、仕事に集中した方がいい、と、身勝手な感情が今でも心の中に巣くっているから、あの世の両親はがっかりしているだろう。
 私はまず冠婚葬祭の義理を欠いた。結婚式はほとんどでない。葬式も今の私は、日本にいなかったりして、失礼ばかりしている。ただその後、亡くなった方の家族とは遊ぶことにしている。葬式はどうでもいいのだが、亡くなった方が喜びそうなことはしたいと思う。
 しかしこの頃、できれば、病人の見舞いだけはした方がいい、と思うようになった。病気見舞いだけではない。速く離れて一人で住む人、高齢者、などに対して、時々声を掛けることがどれほど大きな徳かを、実は私はもうずっと以前に教わっていたのである。
 見舞いは、優しさとか、趣味の問題だと思っている人が多い。しかしそれは、義務に近い愛だと私は教わったのである。見舞いは最大の大切な行為で、寝ている人を見舞う時は決して立って喋ったりせずに、ベッドの脇に腰掛けて、自分も病人と同じ目線になって話すことだ、ということも教わった。病院側も、見舞いの時間をできるだけ自由にすることだ。家族が夜遅くしか来られない人もいるだろう。病院の面会時間の制限は、午前中だけと夜十一時以降でいいはずだと思う。
 しかし現実には遠くて、見舞いに行くには時間もかかり、経済的にも重荷になる人は多い。それなら病院がせめてファックスやEメールを受け付けるシステムを作ることだ。頻繁に、たった三行の手紙でももらったら、病人や老人は一日心が温かくいられる。病人の場合はそれが早期の回復にも繋がると思う。
 自分の都合だけでなく、他人を幸せにしたいという思いのない人は、一生大人にならないし、充たされた生活もしていないように思う。よく自分は不運で「芽が出ない、芽が出ない」とぼやく人は、つまり自分のことだけしか心にない人だから、よくなるわけがないのかもしれない。
 道徳教育はしっかりと再構築するべきだろう。親を見舞うことが優先的な徳であることはもちろん、遠い縁の人、行きずりの人にでも、すべてわずかな心遣いをすることが、相手に大きな幸福を与える不思議を教える方がいい。できたら世話になった人だけでなく、自分を嫌な目に遇わせた人にでも、それができれば最高だ、と教えたい。
 人間というものは、自分が与えられた時喜ぶだけでなく、他の人にも与えると嬉しいのだ。普通の物質だと、与えると自分の持ち分が減ってマイナスになる計算だが、愛だけは与えても少しも減らないだけでなく、むしろプラスの実感を残す。奇妙な算数が成立する世界があるのだ。
 



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