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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: マラソン?素人にはわからない…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 194  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/12/01  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私はスポーツに無知なので、今日ここで述べることは全く非常識なことかもしれない。しかし無関係な者にしか言えないこともあるだろう、と思うので敢えて触れることにする。
 冬になるとマラソンのシーズンで、休日にはよくマラソンがテレビで放映される。勝つためには、戦略が要るということも事実で、マラソンでは先頭集団の選手が、トップの人を風避けにして走るのが常識だという。
 先日の女子マラソンでは、二番手の人がずっと先頭の人のすぐ後ろを走り続けた。テレビでは、真後ろに二、三メートルしか開けないで走っているように見えるのだが、あれは望遠レンズのせいで、もう少し間隔はあるのだろうか。もし真後ろを、二、三メートルの間隔で走られたら、先頭のランナーは、後の人との距離を確認するのに、首か上体をかなり曲げなければ見られないだろう。
 私は次第に腹が立って来た。
 その数日前、私は夜、駅を下りてからぴったりと後ろについて歩いて来る人を、急に止まってやり過ごしてから再び歩き出した記憶があるのである。
 私のすぐ後ろの人は女性だったけれど、夜の道をずっと真後ろにぴったりついて歩くなどというのは、感覚が荒いか非常識かどちらかであろう。夜の道では、私は誰でも一応用心する。後ろは無防備だから動物的本能として気持ちが悪いのである。人の前にたちふさがったら軽犯罪になるだろう。後ろをぴたぴたとついて歩かれると妨害にはならないのかもしれないが、気味が悪い点では前に立ちふさがられるのと同じである。
 自分が気持ち悪いと思うことは、人間は普通は他人にもしないものである。しかしマラソンではいいのだそうだ。
 その日のマラソンは大変な接戦だった。というよりとにかく最後まで二番手の人はトップを抜かないで、ぴたりと真後ろを走るという「戦略」を取ったのである。二番目のランナーは最終コースのゴール近くで一度トップ・ランナーを抜いたのだが、トップの選手は執念でそれを抜き返した。
 いくら戦略でも作戦でも、ぴたりと真後ろについて、最後の五十メートルで抜くなどという計算は、ほんとうにスポーツらしくない汚いやり方だ、と素人の私は思う。優勝者はゴールに入ってから、二番になった人に、自分の方から「お互いによく走ったね」という意味の祝福の挨拶をしに行ったという話をしていたが、私だったら腹を立てて口もきかなかったと思う。
 私も時には本気で小説を書いているのだが、心の一部では常に「たかが小説」と思うことにしている。それが架空世界を生きる者の美学だろう。スポーツも架空世界なのだから「たかがマラソン」と思って、人間らしい礼儀を守った上で、結果を争うべきではないのか。それが素人の考えである。
 



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