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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 役所の事務?確実に人間の精神が退化する  
コラム名: 自分の顔相手の顔 355  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/07/25  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   法務省の仕事で、地方へ出張した。有益な楽しい旅であった。私のような知識のない者にも、専門家が適切に説明と背景を教えてくれる。しかしお役所の旅には実にこっけいなこともあった。
 私は皆と同じ飛行機で目的地に着いたのだが、向こうで飛行機の搭乗券の半券を請求された時にはほっとした。危ないところだったのである。私たちの世界では、こんなもの、飛行機の中で捨ててくる人が多い。私が辛うじてそれを持つ癖がついているのは、アフリカの途上国で、何の理由もなく半券を請求されたことがあって、それ以来、理由がはっきりしないことくらい小さな紛争と意地悪をされる種になるものはないということがわかって、用心深くとっておく癖がついたのである。
 その時の光景を、私は今でも一つのアフリカ体験としてはっきりと覚えている。飛行機を下りた所は暑い大地であったが、タラップの下には、だるくてたまらないという感じの制服の職員が待っていて、突然、搭乗券の半券を要求した。人々は大混乱になった。座席において来てしまったと言って取りに帰る人。ポケットというポケットを探して、絶望的に見つからない人。カバン中を探してあらゆる書類を拡げる人。列が進まないので、暑くて泣く子供。ハンドバッグを落として中身をぶちまけてしまった婦人。
 私は霞が関の常識を知らないから、多分お役所ではこれが常識なのだろうと思うが、こういう途上国並のスマートでない事務のとり方をしていると、人間の精神がどんどん退化することは確実だ。つまり人間は、記録上まちがいないことを証明する目的のために長くもない人生の時を使うわけで、創造的仕事に使う時間はどんどんなくなって来る。こんなことにだけ意識を使っていると、今に脳味噌の形まで飛行機の搭乗券型になる。人間というものは、搭乗券の半券をなくさない人がいい人で、なくす人は困った人という判断になる。少なくとも、作家が受け取りを保管する業務に長けてきたら、多分作品はまちがいなく悪くなるだろうと思う。
 法律というものには創造力は必要ない、と信じている人にも会ったことがあるから、法務省ではそれでいいんでしょう、と言うかもしれないが、それは大きな誤解だし、相手に失礼に当たるというものだ。人間にとって必要なことだけを常に残し、要らないことはできるだけ削除するのがどんな組織にとっても任務である。
 帰りに札幌空港へ早く着いたので、駅ビルのお土産もの屋を見ていたら、今度は別のことでおかしな気分になって来た。トウモロコシが一本三百五十円。スイカが一個五千円。何もかも私が東京で買っている値段より高い。産地は安くて当然なのだから、つまり北海道は価格調査をしていないのだと思う。玄関口というかお出口というか、そういう場所でこんなにふっかけていては、北海道の印象は確実に悪くなって観光客は減るだろう、と思う。
 



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