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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: オペラ、オペラ  
コラム名: 私日記 連載31  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/11/02  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一九九七年十月七日
 ペルーの日本大使館人質事件の時、毎日赤十字と共に大使館を訪れてゲリラたちとの仲介役をしてくださったシプリアー二大司教が午後、日本財団に訪ねて来られた。
 実は昨日、招待した外務省に、「ただ財団にお迎えするだけでなく、私がご案内して二、三時間東京見物をなさることがおできになるか、スケジュールを伺いたい」と言ってみたのである。するとぜひ行きたい、というご返事だったので私は喜んだのだが、今日になってもまだほんとうに大丈夫だろうか、と心配した。時差もあるし、ペルーからは長旅なのだからご無理ではないか、と思って改めて伺うと、ほんとうに行きたいのだとおっしゃる。
 私の立てた下町散歩の案は、まず湯島の天神さまと浅草の浅草寺にお参りしてから、仲見世でアンミツかあんこ玉を食べ、昔の吉原のあたりを通って、山谷へ至るというものである。これで神社とお寺の両方で、典型的な日本人の信仰の姿を知ることがおできになる、という計算だ。
 湯島神社はすっかり社殿が新しくなっていてびっくりした。私は何でも普通にひっそりするのが好きだから、一般の参詣人と同じようにお賽銭箱のこちらからお参りをすればいいと思っていたのだが、シプリアーニ大司教は、あのお社の中に入ってお参りができないか、と言われる。実は最初、聞こえないふりをしていたら、二度も言われるから、社務所にお願いしたら、優しくご招待を頂いた。
 応接間で早速、押見宮司さまに神道の本質について質問攻め。「あの事件の時、神道の皆さんも平和な解決を祈っておられたのでしょうね」という言葉に胸を打たれた。大司教の中で祈りは必須のもの。祈りで私たちは誰とでも結ばれる、という信念がある。
 宮司さまのお計らいで、檜の香の高い社殿に上がり、祝詞、お祓い、玉串奉献、お神酒、というすべてのことを体験させておもらいになる。
 しかしこれでほとんど時間ぎれ。浅草寺もあんこ玉も夢と消えた。しかし大司教はほんとうに喜んでおられる。
 信じられないことに、観光はこの日のこの数時間だけだという。外務省というところは、人を二十数時間もかかる遠い国から招んでおいて、テレビとか記者会見とか、政府要人との会食とか、自分の都合ばかりに使っている、ように見える。その方の希望することを叶える、というおもてなしの根本精神はどこに行ってしまったのだ。外務省の考える外交とは、そういう利己的なものなのだろうか。
 十月十日
 第二国立劇場のこけら落とし。夫の三浦朱門は、この劇場の完成に設計の段階から今日まで深く係わる立場にあった一人である。三浦自身は意外なほど喜んでいる。彼の母は売れない新劇の女優だった。母の時代の日本の新劇界の物的貧しさを思うのかもしれない。
 この劇場ができるまでに、どれだけの反対があったことか。「今日ここにいる芸術家と建築家の半分は反対派だったよ」と三浦朱門は笑う。「だけど結果的には皆反対という形で力を貸してくれたんだよ。その意味で感動してるの、ボク」だそうだ。
「オペラですからね」
 と私は言う。オペラとは「困難、苦痛、奉仕、努力(複数)」という意味である。単数形はオプスで、これも「仕事、労働」というような意味。血の滲むような人々の生活の営み、そのものである。
 そう言えばシプリアー二大司教は「オプス・デイ(神の仕事)」というグループを支えておられる。ペルーの大使館で、ゲリラに心を開くのもまさに「神の仕事」なのだ。ほんとうの意味でのオペラは、すべて人間の悲しみと醜さに塗れていて自然だろう。
 三浦は、黙々とお金集めの苦労を背負ってくださった鹿島の石川六郎氏に取り分け深い感謝を覚えている。石川氏はどんなことがあっても「いつも穏やかにこにこおじさま」を決めておられる方だから、今日も同じようなお顔だが、「これから寄付集めが始まります」と言われる。
 日本という国のお役人は、ハードを作ると安心する。出した金がしっかり見えるものになって残るからだ。しかしそこでどんな作品を上演するか、そのための費用はどこから出るかの配慮はない、というのは不思議な無責任というものだろう。ほんとうの仕事とは、その中身の豊かさをもって計るのに、予算がついていない、というのは、驚嘆に価する貧しい考え方である。
 上演されたのは團伊玖磨氏の作曲・台本・指揮による『健・TAKERU』。今日團氏は、ご健康の具合で、君が代の時だけ指揮をされた。
 この作品は、團氏の祝祭劇である。「やまとはくにのまほろば」のくだりを、團氏は聴きようによっては、日本民族へ遺す言葉のように歌い上げ、しかしまた聴きようによっては「私小説」ならぬ「私アリア」にしてしまわれた。健の最期は、やや女々しく、戦いよりは平和を願って息を引き取る。これを真の勇者と取るか。これで列席の各国大使も、日本が国粋主義を復興し、軍備増強に走るとは思わないだろう、などと余計なことを思う。
 



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