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田舎の寄宿学校が、新しい教育の形態を生むだろう、と私は期待してるのだが、そこにいささかの不安も見える。 共に暮らす先生たちの行儀が悪いのだ。
パンフレットを見ただけだが、(それだけに資料としては正確だろう)先生と生徒が向かい合ってラーメンのようなものを食べている。その先生が肘をついて食べているのだ。
亡くなった方のことを書くのはまことに申しわけないが、小渕前総理は、外国の賓客を招かれたような食事の席でも、食卓に肘をついて召し上がっていた。それだけで「無礼な無教養な人物」と思われる行為である。
私は眼を疑った。その日だけ、ご健康状態が悪かったのかもしれないと思った。しかし数日後に、たまたま夫がやはり総理の出席される食事に出た。その時も肘をついて食べておられた、と夫も奇異に感じて帰って来た。
当時、外務省から来ていた秘書官は、自分もそういう礼儀を知らないか、それとも総理には何も注意できないか、どちらかであったのだ。自分が総理に悪く思われないために、総理が外国で恥をかきそうなことでも言わないのが外務官僚なのだ。総理の品格は一国の政治と安全に関わる、と言っても過言ではない。つまり外務秘書官は、国のために何かをするということの全くない人だった。
寄宿学校のパンフレットでは、先生が椅子の上に日本式に坐って授業をしている風景もあった。寒い土地なのだから、足が冷えてお気の毒なことはわかる。しかしこれも、生徒が将来国際社会に出て行った時、靴を脱いで椅子の上に日本式に坐っていいものだ、と思うと困ることなのだから、厳禁である。
思うに昨今、電車の中やあちこちで、無礼な若者が増えたのは、親や教師自身が礼儀知らずで、行儀の悪いことが親しさや気取らなさの表れだ、と勘違いしているからだろう。
戦後アメリカ軍が進駐して来ると、米兵たちはかつて私たちの生活になかった行動をした。歩きながら食べるということは、それまでの日本の生活では、厳しく禁じられていたことであった。上官の前でもチューインガムを噛んでいる米兵にも驚きを禁じえなかった。
日本全体がそうした行動を、新しいファッションのように受け入れようとしていた時、私の通っていた大学のアメリカ人の学長は、それらははしたない行為だから、学生は決して真似してはいけない、と厳命した。私たちは時流に流されない教育を受けられたのである。
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