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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 三百年を生きた楽器  
コラム名: 私日記 連載4  
出版物名: サンデー毎日  
出版社名: 毎日新聞社出版局  
発行日: 1997/04/13  
※この記事は、著者と毎日新聞社出版局の許諾を得て転載したものです。
毎日新聞社出版局に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど毎日新聞社出版局の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   三月十六日
 昨日三月十五日(土曜日)の昼頃成田を出て、イギリスに向かってから、長い長い日が続いている。イギリスと日本との時差は九時間あるので、丸十二時間も飛んだのに同じ日の午後三時にはロンドンに着き、そのまま乗り換えてマンチェスターに向かった。さらにそれから四十分あまり車で走ったブレストンという田舎町のホテルに入った。しかし目的地はここですらない。さらにそれから一時間半ほど北に走ったバロウという岬の突端の寂しい港である。
 取り敢えず、昨日はそこに泊まったのだが、ここまで語れば、旅の目的にも触れるべきだろう。数年前から私は、一九九三年の十一月から翌年の一月五日にかけて、フランスのシェルブール港から日本の東海村までプルトニウムを運んで来た「あかつき丸」を書きたいと考えていた。妨害を目的とする他船との接触を避けるために、三万五千キロを五十九日かけて無寄港で帰って来た船の取材をこうしてやっと始めたのである。
 私の出発前の三月十一日、日本では、動力炉・核燃料開発事業団の事故があった。私はこの小説の中で、原発の是非を言及するつもりはない。逃げているのではなく、私には原子力問題は能力的に判断が不可能だからだ。しかし小説は道徳を説くものではないし、最近の私はむしろ人生の陰の部分にも光を当てたいと思っているので、いささかも避けて通る必要はない。もっとも小説にするまでには少し時間がかかるだろうが、作家はいつでもこうして何年もかけて少しずつ細部を構築して行く。馴れた仕事である。
 ホテルに着いてもすぐベッドに入るというわけには行かなかった。核燃料の輸送を専門とする会社の英国人二人と、明日の見学の打ち合わせをかねて、夜八時から食事をした。昼が何時間続いているのかわからなくなった。
 このホテルは、地方の古い豪族のお屋敷風で感じがいいのだが、夕食の鴨料理がまた柔らかさといい、ソースの味といい大したものである。イギリスは最近めっきり料理がおいしくなった。植民地にかけていた情熱が内側に向くと料理がおいしくなる、などと簡単に言うと、フランスの場合はどうだ、と必ず反論されるだろう。
 三月二十一日
 ウィーン国立音楽大学を訪ねる。大学自体が、ウルスラ会の女子修道院だった建物で、日本財団は百万ドルの基金を出して奨学生を育てている。彼らの数人の演奏会を聴かせてもらう。
 奨学生たちは皆一様に厳しい過去と現実を背負っていた。ブルガリアから来た女性のヴィオラ奏者も、中国本土からオーストラリアヘ逃れて来た男性の長髪のヴァイオリニストも、いずれも悲しみと野心をこめたすばらしい演奏をする。それでも彼らが皆、音楽家として大成することは夢に近い。でも私は皆の署名をもらった。私の死後、この中の数人が世界的な演奏家、オペラ歌手になっている可能性を信じているからだ。今日の署名入りプログラムは額に入れて飾っておこう。
 最後に聖ウルスラに捧げられた聖堂で、やはり奨学生の一人が弾くパッハを聴く。ここにはパッハを受け入れる総ての環境が整っている。この聖堂では毎日曜、今でもミサが立てられている。信仰と教会の建物なしに何のバッハか。
 三月二十二日
 ザルツブルク。まだ少し雪が残っているが、兎や鶏をあしらった復活祭の飾りがあちこちに売られていて、春は後一歩という感じ。ここのイースター・フェスティバルでも日木財団は去年からスポンサーを引き受けるようになった。派手な広告は一切なし。ただヨーロッパの景気もよくないらしい。ザルツブルク音楽祭は、ヨーロッパの人々にとって、魂の上でも大切な催しだというので、スポンサーを引き受けたのである。
 第一日目は、アパドの指揮でベルグの「ヴォーツェク」が演じられる。ベルグの理解者でもないし、時差もあるし、途中で居眠りが出ないか心配したが、演出と舞台装置が全く斬新なので、私の思考も自由に解き放たれたのだろう。度々、抽象的舞台のワルクチを言っていたのだが、急に現代的な表現の風通しのよさを実感する。
 終わってから近くのレストランでアバド氏を囲む夕食会に出るように言われたが、イタリア系の人々を中心に煙草の煙の渦巻くレストランにいるのが辛いので、挨拶だけして帰ることにした。
 三月二十三日
 第二日目は夕方から、「モツアルテウム」で東京クァルテットの演奏を聴く。これも仕事の一つ。いずれもパガニーニが演奏で使ったストラディヴァリウスばかりを集めて、財団が東京クァルテットに貸している。ヴァイオリンは一六八〇年と一七二八年、ヴィオラは一七三一年、チェロは一七三六年製作のものだ。最近またさらにいい音が出るようになっているという。ウェーベルンの複雑で難解な曲を、自然界の言葉と物音のようにしたクァルテットの腕に私は感動し、土地の知人はパガニーニが手にした楽器が四挺も揃って聴けたことに興奮している。三百年を生き続けた楽器の声である。
 



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