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1.里山への回帰 ご存知のように、私ども日本財団は草の根の市民活動から国連レベルまで、非政府かつ非営利の公益活動を支援させていただいています。この一連の支援活動を行うためには、社会情勢の微妙な変化を逸早く感じ取り、いかにして社会ニードを先取りした事業を発掘していくかが問われます。昨今、最も目覚しい活性化がみられるものの一つとして、自然保護分野の一形態である雑木林や小河川といった田園景観を保全・復元していこうという動きが急速に高まっています。私共の財団に対する支援要請も、草の根の市民活動から公益法人まで、この分野のご相談が年々倍増の勢いとなっています。そうしたなかで、日本財団が行う支援活動の重点項目の一つとしても「里地・里山の保全活動」があります。 里地ネットワークのみなさんが使われる「里地」という言葉は、果たしてこの数年来、ずい分とあちらこちらで耳にする言葉「里山」とはちょっと違うようです。そこで、ここではこの辺りのことについてちょっと考察してみたいと思います。 「里山」。何となくイメージは、みなさんわかるようですが、どうも言葉で言い表すのが難しいもののようです。この「里山」を始めて学術書に記したのは、1967年の京都大学の四手井綱英氏だそうです。また辞典の類だと「里山」が記載されたのはつい最近のことで、1995年に発刊された大辞林第二版が最初のようです。大辞林では、「集落の近くに有り、かつては薪炭用材や山菜などを採集していた人と関係の深い森林」とされています。この里山という言葉について、平成9年9・10月号「野鳥」で成城大学教授の松崎憲三氏が論じています。古来、日本民族は一方をヤマ、他方を田野に挟まれて清流のあるところ、カタヒラにサトを築き、水害の忌避と豊穣を祈る神を祭り、また自らも食すのに必要なミキとミケ、つまり酒と米を作り生活していたのですが、このサトとは都に対する田舎、故郷、人家の集まっている所の意味があって、このサトが共有地として自給肥料や日常生活の糧などを得ていたヤマを、畏怖と信仰の対象であった深山幽谷のオクヤマと区別して、ウチヤマあるいはサトヤマといっていたのだそうです。一説によるとこの和語の「サトヤマ」は現在でも東北地方では方言として残っているそうです。 このサトとその周囲の生活空間であるサトヤマの姿が、日本人の生活に根差した原風景として遺伝子に深く刻まれ、現代語の「里山」という言葉になったとすると、かつて農耕生活を行っていた場所、つまり日本人の祖先が生活していた全ての空間がこの概念に含まれるわけです。丘陵地や平地、海岸段丘であっても里山ですし、薪炭林や生産林から生活用水を得ていた河川や湖沼、田畑はもとより、そこに住む農家の敷地や建物までもがこの概念に含まれると考えられるのではないでしょうか。(財)日本自然保護協会の「里やま」の定義によると「林だけでなく、水田や畑、小川や湿地、ため池、草はらなどさまざまな環境が一体となって、たくさんの種類の生き物が暮らすことができます。そこでこのような農村の自然を形づくっているさまざまな林だけでなく、水田や畑、小川や湿地、ため池、草はらなどを含めて「里やま」と呼ぶ。」とされています。さらには横浜方面などで盛んな都市公園緑地や小河川を市民が管理していく形態の活動や、本来の意味での「ミティゲーション」や「ビオトープ」の概念も、その動機と目的は同様なところにあるわけで、その意味では「里山」の範疇にあると捉えるべきでしょう。昨今では環境基本計画にいう行政用語の「里地」という狭い概念よりも、むしろこういった広義の捉え方の方が、より一般的になっているようです。日本財団ではこうした広義の概念を人間中心の「アメニティ」でもなく、自然生態系の観点から「生き物緑地」と呼ぶことにしています。こう考えていくと森林生態学、水圏生態学から農村社会学、河川工学、造園学などまでを縦断した「里山学」ともいうべき学問体系を早急に確立させるべき必要性を感じる昨今です。 「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川」日本人なら誰しもが口ずさんだ童謡の情景です。昔々、おじいさんが芝を刈りに行ったのは雑木林で、おばあさんが洗濯にいったのは用水路、これこそがまさに日本人ならではの心象風景なのでしょう。しかし藁葺き屋根の家などを見かけなくなってから久しいものが有ります。こうした日本の原風景は、あの列島改造論以降、この30年の間に急速に消えて行きました。さらに追い討ちをかけたのは昭和62年の総合保養地域整備法(リゾート法)の制定によるところが大きいでしょう。これにより一時はリゾート計画面積の総計が、日本の国土の約20%にも達するという異常事態にさえ陥りました。リゾートといっても、大半はゴルフ場のことです。そんなにも日本のゴルフ人口は多いのだろうか?農地では既に使用禁止の農薬を、ゴルフ場では浴びるほど使っているけれど、飲料水などは安全なのだろうか?自分達の慣れ親しんだ景観を次世代に残さなくてもいいのだろうか?人々は誰しもがそういった疑問に行き当たることになり、全国的に開発反対運動が展開されると共に、里山保護の市民活動が爆発的に活性化したのです。それはイデオロギーなどではなく、まさに日本人の本能が突き動かしたといえるでしょう。 こういった社会情勢の変化は、ただ漫然とそこに住んでいた住民が、自ら考えて住まう市民へと意識改革が進んだことを良く表わしている事象だとも言えます。「市民社会の到来」などと表現する向きもあるようですが、あの阪神・淡路大震災やナホトカ号重油災害の例を引くまでもなく、何かが起きるとボランティアとして駆けつける風潮がすっかり定着したのも、その表われでしょう。自らが考えながら住まっていると、幼い頃に慣れ親しんだ風景がすでに身の回りから消えかかってしまっていることに気が付きます。そうして日本人としての原風景である「里山」への回帰本能が呼び覚まされることになるのでしょう。これが近年「里山」という言葉が良く使われるようになった理由であろうと思われます。 2.実体験の機会を奪われたこどもたち では生まれながらにして、そんな原風景には触れ合ったことがないか、あったとしてもせいぜい年に1〜3日のキャンプ程度しか知らない、こどもたちの世代はどうでしょうか。里山景観は単に人々の郷愁を誘うに留まらず、人間と共生して初めて生息しうる動植物種の多様性保全の場ともなっています。これらの人間以外の生物を軽視することは、人類を含む生態系全体を攪乱することにもなり、人類生存の生物的基盤すら脅かされることにもなりかねません。またこれらに起因する生命の軽視の傾向はヒューマニズム崩壊の危険性も内包しているのです。平成8年度には政府も環境白書においてこの点に言及し、近年のこどもの生育環境と「遊び」の変化が、その後の人格形成において大変深刻な影響を与えていることを指摘し警鐘を発しています。神戸の少年少女連続殺傷事件や福島の教師刺殺事件、四街道のダンベル撲殺事件など、昨今の若年世代による凶悪事件が枚挙のいとまがないほどに相次いでいるのは、正にその警鐘が具現化したものに他ならないといえるのではないでしょうか。幼い頃に花摘みや昆虫採集をすることは、時に残酷なまでの生き物の死に直面することにもなります。生き物の死を実体験することで、こども達は生命の尊さを知ることになり、健全で豊かな感受性を育むのです。このようにこども達の情操発育と里山景観は密接な関係があると考えられます。受験戦争の加熱や、テレビゲームの急速な普及、遊び場空間の激減は仮想疑似体験(バーチャルリアリテイー)の世界にこども達を閉じこめて、実体験をする機会を奪ってしまいました。 自然とのふれあいという実体験の最も重要な点は、一方的に与えられる知識ではなく、自らが考える知恵を習得できることにあります。現在の我が国では、こども達はもとより、大人でさえも自然の中で自己を鍛練する機会が失われてしまいました。昨今のアウトドアブームとは、単に自宅を自然の中に持ち込んだようなものですから、自然とのふれあいというには余りに程遠いものといえるでしょう。 3.仮想現実の中の里山 こうした実体験に乏しい世代は、里山などの自然や生命の尊厳すらも、仮想現実の中で体験することになります。偶然にもこうした傾向を巧みに利用した事例を挙げてみます。埼玉県の西部と東京都にまたがる狭山丘陵の自然を残そうと、自然保護団体が中心となり「トトロのふるさと基金」を設置して、ナショナル・トラスト運動に取り組んできたあの活動です。昨年、アニメーションとしてはあのディズニーをも凌ぐ映画史上に残る空前の大ヒットとなった「もののけ姫」を製作した、日本を代表するアニメーター、宮崎駿氏の代表作「となりのトトロ」を、イメージキャラクターとして前面に押し出して、狭山丘陵の里山を守ろうというものです。昨年、この団体の事務局長を勤められている永石文明氏にお伺いしたところ、こうしたイメージ戦略が呼び水となったのか、若年層世代からの反響が大きく、高校生以下のこども達が自分で手紙を書き、無け無しのおこずかいまで同封してくることが大変多いといわれました。それは確かに金額ではわずかなものになってしまいますが、件数で考えると寄付者の実に4割にも達しているそうです。市民活動が活性化するための大きな要因は、何もその団体のファンドレイジング能力だけではありません。その団体の活動を多くの人に理解と賛同をしてもらうことで、いかにして社会的な認知を得られるかのということも大きな要因といえるでしょう。この小さな市民運動から始まった団体は、アニメーションの中のイメージキャラクターを使うことで、それを見事に成功させて、今春には財団法人化することまでできたのです。これらは何か活動を象徴するものがあれば、若年層世代はそれを元に仮想現実を作りあげて、その活動に賛同しやすくなるという傾向があることを示しているのではないでしょうか。 4.岐路に立つ里山保全活動 黎明期から約10年を経て、里山を保全しようという活動は自分たちがこどもの頃に慣れ親しんだ原風景を、次世代に残してあげたいという世代の活動から、今どきのバーチャル世代へとバトンタッチするには、どのようにしたらよいのか、また時代とともに広がった活動メニューに対して、余り増えることの無い活動のコアメンバーをいかに確保するのかということを考える岐路にあるようです。このことについて、小中高校の先生たちが自然についての学習を学校や地域の中で行うことを民間団体の立場から支援し、また非営利組織の指導者養成活動も行っている「環境教育学習センター」の事務局長を勤められている森良氏がかつて語ったことがあります。「いろいろな地域で人づくり、組織づくりができれば、僕は消えようと思う。その時、その時に必要な仕事をして、終われば消えて行く。それがNPOだと考えている。」つまり市民団体の活動は、団体存続のための活動ではなく、時代の要請がありての活動だから、一つの社会的使命を終えた段階でその団体は解散する、または活動のリーダーは引退すべきというのです。「老兵は去れ。」これも市民団体の将来はいかにあるべきか、また既存の公益法人の現状と市民団体のあり方の相違を考えたとき、一つの回答になるのことなのかも知れません。 5.市民による里山保全活動の将来 バブル景気が終わり、いつまで続くのか全く先の見えない不況に喘ぐ現在の日本では、リゾート法による開発計画も財政困難のために一時棚上げとなっています。従って市民による里山保全活動も保護反対運動の影を潜めて、本来あるべき花鳥風月を愛で、山野河海を愛護する活動に戻れるのではないかと思われるかも知れません。それならば先の森氏のご意見のように一つの社会的使命が終わったとして、解散したり組織改変する団体が多くなっているのでしょうか。現状では決してそんなことはなく、里山などの自然保護を行う市民団体はかえって反対運動に向かわざるをえないことになっているようです。日本では景気対策といえば大型公共工事の乱発であり、それが良好な日本の原風景を改変することになるからです。昨年の諫早湾の干潟埋立てや、海上の森の愛知万博、藤前干潟の廃棄物処理場など、むしろ自然改変を伴う開発行為は大型化してきています。こうした中で市民団体は余計に神経を尖らせ、市民によるチェックシステムを働かせざるを得なくなっているのです。 一方で、昨今では国の考え方もかなり変わってきています。かつて大規模開発といえば、建設省が推進するものというイメージがありました。その建設省が、大きな方向転換を行ったのです。そのことに関して水辺環境の保護活動を行っている市民団体「みずとみどり研究会」の金子博さんが話されたことがあります。「平成7年3月、河川審議会は河川環境対策の在り方について答申した。その柱は1)地域の健全な水環境を回復する2)生物を保全する3)地域とのよりよい関係を再構築する、である。建設省の河川行政が「治水と環境」の方向性をはっきり打ち出し、流域の声に耳を傾けて川づくりをすると宣言したのだ。NGOと行政がどうかかわり合って環境保全の実をあげるか、新しいシステムづくりの実験だと思う。」単に市民と行政のパートナーシップ論だと片づけてしまえば、もはや言い古されたものになってしまいます。しかし今までと大きく違うのは、少なくとも河川行政においては、行政が市民活動を統轄しようという従来の考え方を転換し、自ら行政行為に限界があることを認めて、行政の方から市民に歩み寄り、意見を取り入れることによって、市民という外部者による行政のチェックを受け入れようようとしていることでしょう。実際この方針に従い地域住民の意見により見直された公共事業は、昨年の北海道での「時のアセス」で千歳川放水路の予算未請求、徳島県の細川内ダムを始めとするダム工事での383件中で6件が中止、12件が休止、70件が凍結、熊本県の羊角湾での干拓計画自体が中止されたことなどのように相次いでいます。 このような行政の政策転換の動向がどこまで広がっていくかは未知数です。しかし行政がそこへ踏み出すことによって、市民団体の新たな役割が生まれるとともに、より良い社会が実現できるのではないでしょうか。真の市民社会とは、市民が誰かの呼び掛けに応じ参加することではありません。私たちの未来は、誰にたよることなく私たち自身による市民活動が自主的かつ主導的に、率先して切り拓いていかなければなりません。日本財団もそうした活動を支援していきたいと思います。
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