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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 見知らぬ人?悪の論理にならぬ欠陥教育  
コラム名: 自分の顔相手の顔 210  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/02/01  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   先頃の伝言サービス事件といわれるものでは、神奈川県と東京都の二人の二十代の女性が、電話だけで知り合った男性とドライヴに行った。そして美容薬だと言って飲まされた睡眠導入剤で昏睡(こんすい)状態になり、財布などを奪われた後、戸外に放置されて凍死したものとわかった。
 見知らぬ男について行っちゃいけませんよ、という昔だったらごく普通の警告を、親や学校や社会は誰もしなくなったのだろうか。何しろ子供の時から皆いい子、だと教えたのだから、見知らぬ人は悪人かもしれないという論理が出てこないのだろう。
 悪人ではないかもしれないけれど、「見知らぬ人」はいい人だと信じるだけのデータをまだこちらが持っていない、ということなのだ。信じる根拠がないうちに、信じるのはおかしい、と言っても少しも不思議はない。児童の誘拐事件が起きる度に、「知らない人についていっちゃいけませんよ」と親たちが教えるのも当然だと思うのだが、その度に必ず「人を信じられないとは何と悲しいことでしょう」などという日本独特の善人ぶった投書が新聞に載るのである。
 それにしても、事件が起きたのはこんなに寒くなる前だから、眠りこけると凍死するほどの気温だったのだろうかと思うが、最近の女性たちは凍死する条件が揃(そろ)っているのかもしれない。痩(や)せていて脂肪がない。薄着でミニ・スカート。もしかするとお酒も入っていた。どれも凍死する条件に当てはまる。
 この犯人は、眠ってしまった女性から金を取った後放置して「死ぬとは思わなかった」と言っているらしく「未必の故意」が成り立つかどうかが裁判でも争点になるだろう。
 「未必の故意」とは、そうなるかもしれない或る結果を予測しつつ放置すること、らしい。この言葉を聞く度に、私はいつも昔の体験を思い出す。まだ極く若い頃、私は東大の法学部の教授もおられる座談会で初めてこの言葉を耳にした。初めの数分間、私はこれを「密室の恋」と聞き、何で場違いな言葉が出て来るのかと当惑していたのである。
 ついに話の辻褄(つじつま)が合わないことに我慢しきれなくなった時、私は質問した。その東大教授は以後ずっと「未必の故意を密室の恋と思った女流作家がいた」と講義を始められたので、東大の法学部の学生はこの言葉だけは確実に覚えたと聞いている。私はその意味で東大の学生を育てる上での偉大な功労者なのだ。
 未必の故意がある、ということは、予測する能力のある人にして初めてできることだ。現代の多くの不作法で鈍感な若者たちは、これをしたら相手がどうなるか、と瞬間的に予測する能力も優しさもほとんど開発されていない。結果が出て初めて「ああそうだったのか」と知る。自供した犯人に、未必の故意があったと立証することはほとんど不可能に近いだろう。被害者にも未必の部分を想定する力がなかったので、共に欠陥教育の犠牲者なのかもしれない。
 



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