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南インドの不可触民の実態にふれるために、バンガロールから北へ五百六十キロというビジャプールの町までバスの旅行をした。 若い人たちだけでなく、私のような年の者でも、次第に貧困の姿というものを日本で見ることがなくなって来た。もちろん日本にも貧乏はあるのだが、それは家のローンを返せない、とか、子供を大学へ送るのは大変だ、とか言うことで、今晩の食事がないことではない。 しかしビジャプールのスラムの近くへ行けば、眼に見える貧困とは何か、ということがわかる。町はビニール袋とゴミだらけだ。その間を黒豚がゴミを餌にして生きている。ビニールをコーティングした穀物袋を引きちぎって食べようとしているブタもいる。ブタは清掃の役目をするスカベンジャーなのだ、と案内のインド入が説明してくれる。 ビジャプールの町はどこも、沼のような土地、水たまりだらけだ。私たちが訪ねたスラムは、今でこそカトリックの神父たちの指導で、小屋と小屋との間に石をおいたり、セメントでかためているところもあるようになった。しかし昔は、そこに生活排水と自然の雨水と屎尿も流れて、実に不潔だったという。もちろん各戸に水道はなく、数千人に対して飲める水の蛇口は十個以下である。広い野原の中ならともかく、狭い面積にひしめき合って住んでいる人々は、逆に自然の中で排泄をする方法もない。最近になってやっと公衆トイレが隣接した土地に作られたという所もあるが、日本人がこういう所で暮しなさいと言われたら、とほうに暮れるだろう。 第一、ろくすっぽ戸もないような小屋から侵入する蚊を防ぐ方法もない。蚊に食われることに馴れている面もあるだろうが、外側から見ると、一見頭からボロを巻きつけた死体のようになって寝ている人がいるから、あれが蚊と寒さを防いで寝る知恵なのだろう。 一軒の不可触民の家を訪ねた時、歓迎の小さな儀式はお盆にのせた香料、ビスケット、バナナ、を食べることから始まった。ヒンドゥ社会の上級階層は、彼らの家に入りもしなければ、ましてや彼らの家で物を食べるなどということはしない。電球が一燈だけ灯った家は、十畳くらいの面積の一間で、床はきれいに掃かれてゴザが敷いてあるが、外からは牛のおしっこの匂いがした。玄関先に牛をつなぐ場所があるのである。 バナナの後で採りたてのココナツも殼ごと出された。ストローで中のジュースを飲むのである。同行の青年の一人が、おいしい、と言ってお代わりをした。すると賢こそうなその家の奥さんは、中にまだ残っている、と言って彼に最後の一滴まで飲ませ、それから新しい実を渡した。そして、「彼はうちの息子に似ている」と言った。 彼がココナツのジュースのお代わりをしてくれてほんとうによかった、と私は思った。一緒に食べる時、人間は友だちになる。カトリックでも、ミサの時、神の体をかたどったと言われる聖体のパンをすべての人と共に食するのである。
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