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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 至福の境地?友人と酒を飲み静寂を聞く  
コラム名: 自分の顔相手の顔 362  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/08/16  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   イギリスの俳優、アレック・ギネス卿の死を、英字新聞は温かい書き方で報じている。「戦場にかける橋」や「スター・ウォーズ」で名演技を見せたこの名優は、六十年間、映画や舞台に出て、八十六歳で死去した。原因となった病気は発表されていないが、緑内障にも悩んでいたという。神経質な人に多いとされる眼病である。
 脚光を浴びるのをあまり好まない、内省的な人であった、と新聞は報じている。彼は自分の心を一月に一度だけ一人の司祭に「赤裸々に見せて」いたが、他の人にはほとんど心を明かさなかった。
 彼は、一九一四年ロンドンの銀行家の息子として生まれた。生後すぐ両親が離婚したため、父親の顔はほとんど記憶にない。学校時代から自分で創作した芝居を演じて学校の人気者だった。しかし最初の仕事は広告代理店のコピー・ライターであった。俳優としての道を歩き始めたのは一九三三年、一九三八年から五年間はイギリス海軍に勤務した。
 彼はオスカー賞を二度受けた。一度は例の「戦場にかける橋」のニコルソン大佐の演技に対してであり、二度目は一九八〇年に、「もっとも記憶に残る秀でた役柄を演じて映画芸術を発展させた功績」に対するオスカー栄誉賞が与えられた時である。一九六〇年にはナイトの称号も授与された。
 「あなたはあなた以外の何者でもないし、私も一人の俳優でいれば幸せなんです」
 とその時ギネスは語った。
 「もし私が私らしくない生き方をしようとしたら、どう振る舞っていいかわかりませんよ。もし私がスーパースターになろうとしたら、私は笑い者になるだけです」
 彼は単純な生活を深く愛した、といわれる。
 天国はどんな所だと思いますか、と聞かれた時、彼は答えた。
 「夏の夕方、一人、二人の友人とテラスに座って、気持ちよく飲みながら、静寂を聞いているようなものでしょうね」
 昨日、私は大統領の性格の分析をした学者たちの評価について書いた。しかし人の性格などというものは、本来家族にさえわかるものではない。誰もが抑えている部分と、わざと露にした部分があるからである。誰の言葉も聞き違えられることがあり、読み違いもされる。そして一つの言葉の背後には、私の体験によると、必ず分裂し造反した部分があり、それらの混沌を語り尽くそうとすれは、人はどれだけでも自己を語り続けるという不作法をしなければならなくなる。それは人困らせな自分本位の表現だから、たいていの人は理解されることを諦めて、誤解を許す道を選ぶのである。
 公表された部分だけで考えれば、私には或る夏の夕方、酒を飲みながら静寂を聞くことを至福としたギネスの気持ちがよくわかる。人間はそれ以上の幸福は体験しなかったように感じるのだ。
 



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