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英国北部のシェフィールドという町で、一人の白人が、臓器提供の意志を残して死亡した。家族もそれを承認し、病院は腎臓移植を行ったのだが、その遺言には一つの限定がつけられていた。自分の臓器は白人にのみ贈る、ということであった。つまり私たちは望んでもこの人の臓器はもらえないのである。 後で非難の声が起こった。「倫理上、許せない」という当然の反応で、政府はすぐに調査に乗り出し、ドブソン保健相は「必要なら人種指定を禁止する法改正も検討する」という態度に出た。 昔、ブラジルで「未婚の母」の家に行った時のことを思い出す。ブラジルは一応カトリックの国で中絶は表向きには認めないから、未婚の母が出産できる施設があちこちにある。 カトリックの施設では案内してくれた日本語のできる神父が、養子に出す赤ちゃんたちを集めた部屋で特別に会いたがっていた。器量よしの女の子がいた。神父の顔を見ると嬉しそうにニコッと笑う。神父は私に「ソノさん、この子の手を見てくださいね」と言った。服をめくると腕があるべき部分に、小さな天使の羽のような掌がついていた。サリドマイド・ベビーだった。 他の子供たちはあちこちにもう貰われて行く約束ができているというのに、この子だけはまだで、修道院の娘のようになっている、と言う。その時、私は体に障害がある子だから養子の口が決まりにくいのですか? と尋ねた。すると神父は世にも不思議そうな顔をして答えた。 「どうして? そんなことはないですよ。エンジェル・ベビーは他の子より、もらいたがる人が多いんですよ。なぜなら、健康な子を一人育てるより、こうした障害を持つ子を育てる方が、神さまはもっとお喜びですからね。でもシスターたちは、どこが一番いい養い親かゆっくり探しているんです」 私はその言葉にうちのめされた。日本ではこういう発想は耳にしたこともない。しかしブラジル人は彼らなりに、ほほえましいばかりに功利的でもあるのだ。同じ養子をするなら、神さまが高く評価する障害児を育てたい、のである。今度のイギリス人は、これとさかさまの希望をもったのである。彼にとっては、多分神よりも大英帝国の白人の誇りの方が強いのだろう。 しかし今度のニュースを読みながら、私は別のことを考えていた。こういう人にはしたいようにさせたらいいのではないだろうか、と思ったのである。その分、他の臓器が有色人種に与えられるなら、結局同じことだ。もっとも私同様ふまじめな夫は嬉しそうに言った。 「そうか、それなら僕は対抗して白人にはやらない、という遺言をするか。有色人種の方が絶対数が多いんだから、こっちの方が有利なんだゾ。しかし本当は女性に贈りたい」 こういう大人気ないのがいるから、やはり法は整備しなければならないのである。
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