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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 執着する心?定年や老化への不思議な怠り  
コラム名: 自分の顔相手の顔 58  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/06/17  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   最近、社会の上層部の薄汚れた話が出て来る度に、どうしてあれほどの人が、そこまで地位に執着するのだろう、と思う。私は自分一人で仕事をして来て、組織人間の心がわからなさすぎるので、よくわかっている人に時々解説をしてもらうのだが、その説明によると、地位にしがみつく人は決して金に執着しているわけではない、というのである。
 それでも家族に??妻や子供、孫などに??長い闘病生活が必要だという人でもあれば、やはりいつまでも現役でいて、収入もあった方がいいと思うかもしれない、と私は同情する。しかしそうでもないのなら遅くとも七十五歳くらいまでに、どうしてきれいに引けないのかと不思議でならない。
 すると私が質問した人は、理由は二つだと笑いながら答えてくれた。
 一つは、毎日行くところがなくなるからだ、と言うのである。私はどうしてそれが辛いのかよくわからない。天下晴れて家でごろごろしていていい、などという境地は、今まで本を読む時間がない、展覧会を見に行く暇がない、と思って一生を過ごして来た私には、ぜいたくの限りである。
 それでも行く所がないと困るなら、人は定年までに、必ず行くところを用意しておくことだ。碁会所でも、河川敷の家庭菜園でも、山野草の観察でも、外国旅行でも、ゲートボールでも、何でもいい。仕事を終わったら、心おきなくあれをやろう、と思うことを作っておくべきだ。病気でもないのにそれをしない人は、用意が悪過ぎるのである。
 もう一つの理由は、失脚が辛いのだという。抽象的な意味ではない。文字通り運転手さんのついた車を失うという失脚がいやで、ポストにしがみつくのだと言う。
 私の夫は七十一歳だが、二百円にもならない東京の私鉄の電車賃を惜しんで、十キロ以上の道のりを二時間くらいで終点まで歩いてしまう。つまり吝嗇が趣味なのである。短期間だが運転手さんつきの車をもらう仕事に就いたこともあったのだが、朝の出勤は車より電車の方がオフィスまで早く入れる、というので当時でも迎えを断っていた。歩くのを趣味にしておけば、失脚の恐怖なんて全くない。
 定年や老化は必ず来るのだから、それに対する心の用意をしないということは不思議な怠りである。前にも触れたことだが、老年になれば、妻に死別したり、妻が急に入院したりする可能性も出て来る。そのために、簡単な掃除、洗濯、料理くらいができない男というのも、賢い生き方とは言えない。
 それでもまだ、私の周囲には、自分でお茶一つ入れられないし、ご飯も炊けず味噌汁も作れないという無能な男がいくらでもいる。こういう依頼心の強い男に対しては、基本的な生活の仕方を覚えるまで、年金を払わない、という老年試験を課してほしいくらいだ。
 管理職はほとんどが天下の秀才だと言うが、私はこのごろその評価を疑っている。
 



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