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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 国旗・国歌?起立するのが友情を表す行為  
コラム名: 自分の顔相手の顔 424  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2001/04/11  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   三月二十九日の産経新聞の投書欄「10代の声」に京都市の前田和孝さん(一七)の文章が載っていた。「『国旗・国歌を敬え』というが、なぜなのだろう。理由も言わずにこうしろ、ああしろと言うのは大人の常だが、これもその一つだ」ということである。
 世の中には、たとえばなぜネクタイを締めるのか、というのと似たようなことは多い。私からみると、男たちが揃いも揃ってネクタイと言う名の紐を首に結ばなくてもいいと思う。アラブの男性たちは前にボタンが数個ついた、シャツ丈が裾まであるものを着ているし、アジアでは男性が腰巻き型の民族服を着ている国もたくさんある。ネクタイは全世界の多くの「中流以上の教育を受けた人々」に圧倒的に支持されて来た。私がそういう形で階級差別をしているのではない。その土地の人がはっきりと「教育を受けた人たちはズボンをはくんですよ」というふうに解説するのである。

 そのような背景を受けて、人と「きちんとした態度」で会う時には、背広という形の服にネクタイという紐を首に結ぶことになった。

 国旗・国歌を敬う形もこれと似たような経過で定着した。しかし私は背広とネクタイの着用習慣よりも、もう少しその理由を説明できるような気がする。

 私は今までにアフリカや南米のたくさんの国に行った。でかける前に、その国がかつてどこの国の植民地だったかを調べる。イギリスの支配下にあったなら英語が通じる可能性があり、フランスならフランス語、スペインならスペイン語が通じるからである。しかしそれは首都のホテルとインテリ社会だけの話だ。首都から数百キロも離れた土地では、人々はもう英語もフランス語も話さない。部族の言葉だけである。

 アフリカなどでは、私たち「外国人」は「悪い眼(悪魔の眼)」を持っていることになっているところも多い。私たちににっこりされようものなら、私たちの眼から出た悪魔がその人の中に入るのである。千人に三百人もの高い乳幼児の死亡率のあるような国では赤ちゃんもよく死ぬ。死んだ理由は悪魔の眼を持った外国人の私が、にっこり笑いかけたからだ、ということになる。

 言葉が通じなければ、せめてにっこりすることで友情を示せるだろうと思うのは甘い。そんな時、たった一つ私がその人とその国民に敵意を持たず、友情を願っていることを表せるのは、恭しく国旗・国歌に対しては起立して礼を尽すことだけなのである。
 



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