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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 職場の勇気?身を捨てて筋通す見事さ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 56  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/06/10  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   六月五日付の毎日新聞は、薬害エイズ事件の第三回の公判についての記事を載せている。前帝京大副学長、安部英氏と部下だった木下忠俊・帝京大教授(61)の「師弟対決」の場だったと新聞は書き、安部氏は「弟子をじっと見すえ」、木下教授は「『師』に視線を向けず」と見出しには書いてある(編集部注=東京本社発行紙面の見出し)。もっともこういう文章も、実は記者の思い入れが入りすぎている時もあるから、そのまま正確な状況だというわけにも行かないだろう。
 ただ新聞記事でも、単純な事実と、法廷で証拠としてとりあげられた証言は、感情ぬきで資料になるものと思われる。私はたった一回、証人として法廷に出て証言した体験があるが、その時デリケートなことは一切言おうと思わず、事実だけ単純に述べた覚えがある。その体験から、そう思うのである。
 木下教授は法廷で「安部先生に食い下がる勇気、努力が足りなかった」と言い「米国のギャロ博士から帝京病院の血友病患者がHIVに大量感染しているとの報告を受けた九月以降、非加熱製剤が危険と思いながら患者に注射した時」に「できれば、感染しないでほしいと祈るような気持ちだった」と述べた。
 この危険について教授は、一九八四年十一月に一度だけ安部氏の機嫌のいい時を見計らって進言したが受け入れられなかった、と証言している。なぜ一度だけか、という質問に対しては、「自分の将来や地位といったものに影響するというばく然とした不安があった」と答えている。
 昨日この欄で触れた外務省の態度もそうだが、人間的な目的をいかに果たすかという職業上の勇気というものは、あらゆる職場で今や欠けているのが普通になったようである。勇気などというものは、戦争に役立つだけだ、と長い間それを拒否して来た、これが教育の結果だったのである。
 自分の職業上、それが正しくないと思ったら、仕事も地位も捨てて筋を通すのが人の正当な生き方である。その結果、自分の父や夫が今までの肩書を失って、一生全く思っても見なかった境遇に甘んじようとも、私ならそれを誇りに思う。命を取ると言われたら、それは踏み絵だから、憶病な私は信仰を捨てて相手の言いなりになりそうな気もするが、出世ぐらいなら簡単に諦める。
 いかなる人や世間の圧迫を受けようと、殺すと言われない限り、信条を曲げていいとは思わない。科学的に納得できないことや自分の信念を、出世のために捨てた、という点では、この師弟は全く同じ心理的な姿勢でことに対処していたとしか見えない。
 節を屈さないためには勇気が要る、などという教育は、今誰もしていないのだろうか。自分の信念のためには、一生を棒にふることをみごとだとする解釈はないのだろうか。それがないかぎり、第二、第三のエイズ事件は簡単に起こるだろうと思われる。
 



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