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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 国旗?嫌なら部屋を出てもよい  
コラム名: 自分の顔相手の顔 271  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/09/14  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   アフリカの貧しい国のド田舎の警察官の派出所などに行くと、(なぜそういう羽目になるかというと、隣村に住みこんで貧しい人たちの診療に当たっている日本人のシスターを訪ねるにも、警察の通行許可証が要る、という制度なのだ)その派出所の床は土間、天井の板は破れ、そこに埃だらけの机が一つだけしかないという感じだ。しかしそこにたった一つ飾ってあるのが国旗なのである。
 こうした警察派出所には、飾るべきカレンダー一つない。カレンダーを持っているのは一つのぜいたくで、もし私が日本製のきれいなカレンダーをこの警官にプレゼントしたとすると、彼はその日のうちにカレンダーをばらばらにして、一月は自分の家、二月は妻の父親の家、三月は従弟の所、四月は叔父の家族というふうに分けてやってしまうことだって決して珍しくはない。この貴重なカレンダーの柄や写真は、もちろん来年も再来年もそのままアートとして飾られるのである。しかしそういう貧しい警察の派出所にさえ、たった一つ飾られるのが、国旗なのである。
 外国人が日本に来ると、むしろどうして日本人の「公的な」オフィスに、天皇・皇后両陛下のお写真や小渕総理の写真が飾られていないのか、と不思議に思っているだろう。その方がむしろ世界的な感覚だといえる。
 もちろん世界がそうだから、日本がそれに従わねばならない、ということもないが、日本は私から言うとすばらしい国なのだ。人は知的で働き者で正直で、国は制度がよく整えられ、貧富の差が非常に少なく、飢えている人がない。病気でもお金がないからと言って道端に放置されている人がいない。世界一の「社会主義国家」であるとさえ言える。
 しかし国旗を目の敵にする新聞記者たちは、そうした自分の国家の過去や現在を非難する。その人たちも突然生まれたのではない。彼らの祖父母や父母が、彼らが唾棄している日本の歴史を作ったことも忘れている。
 私たちがもし誰かをほんとうに愛しているというなら、その過去をも「こみで」受け入れるだろう。国家も又同じだ。
 少し古めかしい譬喩になるが、昔から文学の一つのジャンルだったのは、娼婦に惚れた男の話であった。好きになった女が、娼婦だったと知らないのでは三文小説にしかならない。知っていて受け入れる時に、それはほんものの文学になったのである。道徳的に彼女の過去を是認するのではないが、それを承知で人間として受け入れる時に文学は人間に到達した。
 酒癖や女癖の悪い親でもそれなりに子供は棄てはしないのだ。殊に自分の子供だったら、親は子供の弱い性格をどれだけでも支えて矯め直していこうと思う。相手の過去や経歴を抹殺しなければ気が済まないというのは、多分愛していないからなのだ。国が嫌なら日本国籍を離れ、国旗が嫌なら、国旗をおいた記者会見室には入らないという選択と自由も、記者たちには残されているはずだろう。
 



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