共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 車輪の大きさが違うと車は曲る  
コラム名: 昼寝するお化け 第125回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1997/02/28  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   一月二十一目、私が今働いている日本財団は、古賀誠運輸相に対して「評議員選任を巡る行政処分の取消を求める訴え」を東京地裁に起こした。簡単に言うと事の次第は次のようなものである。
 日本財団では評議員会の欠員二名を補充することになり、昨年六月その一人の候補者として前ヤマト運輸会長の小倉昌男氏を上げた。「クロネコヤマトの宅急便」でお馴染みの会社の創立者である。しかし運輸省は小倉氏は「適当でなく」「別の方を当てるよう再考願いたい」と指示して来たのである。
 一連の動きは、昨年七月十日に小倉氏が軽井沢で行われた経営者トップセミナーで、運輸省の批判をした時に始まった。翌十一日の午後には財団は運輸省から、評議員に小倉氏を選んだのは、運輸省に含むところがあるのではないか、と聞かれている。
 これに対して財団側は、小倉氏は理事ではなく評議員の候補であり、民間経営者として一代で会社を築き、理念と哲学と明快な表現力を持ち、しかも厳格な人物だということで選んだのだ。ということを説明し、原則了解を得た。
 しかし七月十八日発売の「週刊新潮」七月二十五日号が、小倉氏の軽井沢セミナーにおける運輸省批判をさらに詳細に報道してしまった。この記事で運輸省の態度は明らかに変わって来た。翌日、財団は運輸省海上技術安全局総務課長の呼出しを受け、運輸省不要論、運輸省所管の公益法人の不要論を公言するような人がなぜ運輸省所管の財団の評議員の候補に上るのかわからない。とうてい承認するわけにはいかない、と言われたのである。
 三日後の七月二十二日には、財団側が豊田運輸次官から、申請しても拒否することになるから、理事会を延期できないのかと聞かれ、これに対して財団の総務部長は、八月一日の官報で平成九年度補助・助成の募集を行う件について議決する必要があるので、中止または延期できない。また、議案はすべて規則に基づいで一週間前に通知済であり、取り消すとすれば当目会長が事情を説明して取り下げることになるが、果たしてそれが有効か否かわからない、と答えた。
 七月二十三日、理事会は開催された。議論は尽くしたが、原案通りに可決された。
 私は自分個人のことに関しては、早計で喧嘩っぱやいところがあるので、組織については充分に時間をかけるように指示した。運輸省側の返答の期日は何度も引き延ばされたが、その度に私は、「連休があるとあちらの仕事も遅れますからね」とか、年が明けてからは「ナホトカ事件で運輸省も大変ですよ。約束を楯に取ったりしないで、ぎりぎりの時間まで待ってください」とかおよそ私らしくないことを言っていたのである。
 途中経過を省くと、実に昨年七月末から五ヵ月の間、財団は度々事情を説明し報告し、運輸省の答えと承認をひたすらじっと待ったのである。財団には、おしゃべりの私と、毎日新聞とフジテレビの0Bが一人ずつ、計三人のマスコミ関係者がいる。それでもこの対立は全くリークしなかったのである。それはこの問題に関して、私たちがマスコミをパックにつけておもしろおかしく運輸省をやっつけてやろうなどと考えず、あくまで温和に冷静に、筋道を通してことを解決することを願ったからだ。
 私の望んだのは、私が会長になる時に世間が希望したように、一切を透明に、民主的な運営を確立し、対立する世論を偏るところなく受け、失敗を恐れず失敗を隠さず、常に前例から学び続けて、創造性を持つことだけであった。
 七月三十日に豊田次官は財団を来訪し、再び私に運輸省に対立的な態度の小倉氏を評議員に認めるわけにいかない、亀井大臣も同じ考えである旨を述べ、同時に拒否の理由三項目を繰り返した。評議員会は政府の審議会と同じに、
(一)就任時に七十歳を越えない。
(二)西暦二〇〇〇年までに女性メンバーを二十パーセントにする。
(三)今回の選出枠は学識経験者とのことだが、小倉氏は運輸業界出身の意味合いが濃い。
 この三項目を考えるようにというのである。しかし年齢については日本財団の理事の中にも着任時に既に七十歳を過ぎていた人がおり、私の夫の三浦朱門も教育課程審議会の委員に任命されたのは七十歳を越えてからだったので、私自身は少しおかしく思った。後に衆議院予算委員会の代表質問でわかったのだが、行政改革会議のメンバーのうち、七十歳を越えている人は六人もいるという。年齢と女性を含めた三条件は、すべて小倉氏を拒否する段階になってから初めて財団に示されたものである。

 検討する段階ではない
 小倉氏は、画期的な経営者であった。日本中の私たち「おばさん」連が大挙して身軽に旅行できるようになったのは、「クロネコヤマトの宅急便」のおかげでもある。私は毎年、身障者と聖書に関係した土地を旅行するが、その旅をきっかけに車椅子から立ち上がって松葉杖の生活に替わった人もかなりいる。彼らが国内でも両手を空かして旅行できるのは、小倉氏によって作られたシステムを利用できたからである。
 しかも氏は過去に何のスキャンダルもない。車の事故も脱税も女性問題もない。さらに氏のポストは、十五人いる無給の評議員の一つの席に過ぎない。評議員のメンバーを見れば、小倉氏一人に動かされるような人たちでないことも明らかである。対立する考えの人がいてこそ議論は正しい方向に動く、というユダヤ人の知恵は、今でもまちがってはいないのである。
 提訴を発表後、運輸省は「指摘した点について検討していただいている段階で訴訟を起こされたのは残念」などとマスコミに言っているが、どうしてこのような不正確な発言が通ると思うのだろうか。
 既に財団は平成八年十二月十三日の一二五回理事会で、運輸省の不承認を議題に載せた上で、小倉氏選出を確認しているのだがら、こちらが検討する段階ではないことくらい運輸省はとくとご承知だ。理事会には「一事不再理」の原則があるにもかかわらず、運輸省は理事会決定事項を、感情的理由でノーと言えば、訂正させられると認識しているとしたら、もっと問題である。
 終始一貫「反運輸省発言のある小倉氏だから評議員として困る」と運輸省は言い続けた。その点は明白である。一財団が受けた処遇は天下の些事だが、そこに含まれた危険の芽は、基本的に民主主義体制への圧迫を示す大事だから、財団は提訴に踏み切った。官が上で民はその下にあって従うべきだ、という発想は戦前の思想の残滓である。官は冷静なルールのチェック機関だが、官と民は車の両輪として働くべきだ。どちらが大きくても車は曲がるのだから、どちらも平等に大切にすべきだ、というのが私の考えである。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation