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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 霞が関?青木前大使にからむ非常識  
コラム名: 自分の顔相手の顔 55  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/06/09  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私は、外部の者が理解できない状況にある事件のことについては、発言しないことにしているのだが、その当事者が第三者に話した談話でなく、自分で筆を取って書いたことに対しては、その内容の範囲の中だけで感想を述べてもいいと思っている。なぜなら、自分が書いたものに対しては、その人は責任を負わなければならないからである。
 ペルーの青木大使が、現地ではヒーロー、日本ではバッシングの対象にされ、その違いはどこから来るのか、ということは興味深いことである。しかしこの点は、今でもわからない。また当事者ではない我々にはわからないことだろう。それでいいのである。
 とにかく犠牲者が少なくてよかった、長い間ご苦労さまでした、という気持ちは変わらない。しかし六月五日付の東京新聞に大使が自分で書かれた手記(編集部注=「前ペルー大使青木盛久・手記」)を読むと、改めて霞が関の感覚と私たちとはずいぶん違うのだな、と思わせられるのである。
 青木大使夫妻が仲のいい夫婦として、今度の危機を乗り越えて来られたことを喜ばない者は誰一人としていないだろう。今度の手記も、拘束されている間、評判の美しい奥さまが明るく絶えず希望を持って励まし続けて来られたことに対する感謝から始まっている。こういう場合、公然と公共の場で、妻に対する感謝を述べる男性に好感を感じる女性の方が、今の時代には多いだろうと思う。
 しかしその奥さまがどんな配慮をなさったかということの評価になると、大使の手記ではどうもよくわからない。人質に差し入れられた弁当は「役所的には当然のことだが、弁当は(現地の)各店へ回り持ちの注文になる」ところを青木夫人が「昼はこの店、夜はこの店」と特定してメニューのバランスを取らせ、また「人質応援ラジオ」も役所はアイウエオ順に家族のメッセージを伝えるのだが、青木夫人は人質の誕生日には「いいじゃない」と言って「飛び入り」を認めさせたし、また暗号混じり文で人質の家族の消息を伝えさせたという。このことに関して大使は深く感謝しておられる。
 しかし、これくらいのことなら、たいていの妻がやることではないだろうか。むしろ霞が関の公正さなるものが、驚くべき非常識と非人間性で運営されていた事実が今回はっきりしただけの話である。つまり外務省は、こういう場合にでも後から非難を受けたくない、規則を守ったという事実だけ残したいという情熱だけある、大物の反対の小物役人で運営されていることが、図らずもよくわかったということである。それに抵抗して、誕生日の配慮をしたくらいでは、とうてい世間でもっと積極的に仕事をしている人の標準にも追いつかない。青木大使ほどの秀才でも、長い間外務省におられると、判断の基準がこんなところまで落ちてしまうのだろうか、とそれが私には大きな驚きであった。
 



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