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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 家族の信頼?裏切ってはならない基本のところ  
コラム名: 自分の顔相手の顔 9  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1996/12/09  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本で普通の生活をすると、私たちの神経は全く緊張しなくてもやっていける。
 たとえば私は、男と同じように働いているので、炊事をしてくれる人を頼まないとやっていけないのだが、一つの家の中で同居して働いてくれている準家族を信用しなかったことなど一度もない。私は一日に何度も、眼鏡をなくし、財布をどこかに置き忘れ、ブローチの在りかがわからなくなっている。しかしそれらのものは、いつも必ず探し出してもらっている。
 しかし外国で暮らす時はそうではないのだ、という。ヨーロッパでも東南アジアでもアフリカでも中南米でも、すべて人は信用できないから、大切なものを入れておく場所には鍵をかけておくのである。お金や宝石だけではない。日本から取り寄せた調味料まで、こそこそ持ち出される恐れがあるので、食料戸棚にさえ鍵をかけておく必要があると言う。
 そういう話を聞くと、外国で暮らしたことのない私は溜め息が出る。さだめし疲れることだろう。私はそんなような緊張なんか全くしなくて生きていられるんだから、ほんとうによかった、と自分のだらしなさを許される場所は日本だけだ、とありがたく思う。
 しかしものの心配なんか、まだましだろう。一つの家族がお互いに信頼をなくして生きている家庭は結構あるのだという。
 最近、妻の浮気が急浮上して来た。浮気くらいこの時代には当然じゃないの、別に離婚しようと言っているんじゃないんだから、という妙に訳知りの論理である。
 しかし私は西洋流の契約の思想というものはあって当然、だと思う。日本で結婚というのは、今のところ一夫一婦を原則にしている契約である。それに対して世界には決してそうでないところもある。アフリカの多くの国では一夫多妻だから、病人のカルテにも夫の妻は何人か、という数を書き入れさせる。そういう家族の一人がエイズにかかると、複数の妻はたちどころに皆が感染するからだ。
 契約した以上仕方がない、と私は思う。
 何も一人の男にギリ立てすることはないと思うなら、結婚などという、時代遅れで、法的な制約が生じるような、ヤボな関係にはならないことだ。
 一人で自由に暮らすなら、一人の異性にギリ立てすることなどないのだ。独身なら、毎日、別の異性に魅力を感じて暮らしてもどうということはない。それがほんとうの自由というものだろう。
 しかし結婚というシェルターみたいなものの存在を充分に利用しながら、浮気という禁断の木の実もおいしい、というような甘えた男女が私はどうも好きになれない。夫以外の男との浮気はどうして心を震わすのだろう、などと聞くと、そんなことにしか心が震えないんですか、と聞き返したくなる。ささやかな人間関係の信頼に応えない人生は、基本のところですばらしくない。
 



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