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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: リンチの時代  
コラム名: 夜明けの新聞の匂い 1997/07/08  
出版物名: 新潮45  
出版社名: 新潮社  
発行日: 1997/08  
※この記事は、著者と新潮社の許諾を得て転載したものです。
新潮社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど新潮社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   第一勧銀の事件に対して、市民の抗議を表すには、何らかの行動が必要になるわけだが、第一勧銀本店の前に立って、ラウドスピーカーで怒鳴るのははた迷惑なものであろう。私は決して音楽的な感覚が鋭いわけではないのだが、静寂ということに対しては、少し執着するほうなので、しばしば霞が関などで怒鳴っている街宣車がいると、内容の如何にかかわらず、それに反対したくなる。霞が関には怠けてお茶を飲んでいる役人もいるだろうが、まともに働いている人もたくさんいるのだから、人を音声で脅すなどというのは、暴力以外の何ものでもない。
 第一勧銀に対するもっとも平凡な抗議は、やはり預金を引き上げることだろう。もっともそんなことをしても、他にいろいろな方途があって、第一勧銀はいささかも困らないという裏話をしてくれる人もいる。私はわかったふりをして聞いているのだが、ほんとうに理解している訳ではない。
 しかし第一勧銀はあれだけのことをしておいて、社会的に何の制裁も受けない、というのはおかしなことだろう、と思うので、私が働いている日本財団でも意志表示のために預金の一部を引き上げることにした。一部と言ってもかなりの額である。
 しかしそのことを討議する会議の席で、一人の理事が言ったことは極めて正当であった。つまり第一勧銀の関係者が、「事実を認めた」と新聞に報道されたから、私がそういう処置を思いつくのだが、ほんとうに第一勧銀が有罪とされるのは、裁判が結審した時であるべきなのである。
 しかしもし市民が、第一勧銀の結審を待って抗議を開始したとしたら、それはずいぶん間が抜けたことになるだろう。裁判はいったいどれだけかかるのか、私などには見当もつかないが、いずれにせよ、数年もかかって、気の抜けた頃に判決が出るのだろうと思われる。その頃、恐らく多くの人々は、「第一勧銀って何したっけ?」ということになるだけで、その時にうちの財団がお金を引き上げても、「どうしてですか?何かあったんですか?」と言われるのがオチであろう。
 これは一種のリンチにほかならないのではないか。しかしこのようなリンチが行われる背後には、庶民の、裁判全体に対する根強い不信があるようにも思う。
 そもそも裁判の結果が出るまでに、数年もかかるなどということは常識では考えられない。ロスで奥さんを殺したと言われる三浦和義さんなどという人物は、もう十年以上、未決でいる筈だが、そんなばかな裁判のテンポがあるものだろうか。
 たまたま、今年三月七日の毎日新聞の切りぬきが私の手許にあるのだが、それは新宿の「動く歩道」の建設をさまたげるような所にいるホームレスの扱いに関してである。
 昨年一月二十四日、無職の山崎郁夫と原義一の二人は、「新宿区西新宿の地下道でバリケードなどを作って座り込み、消火剤を噴射するなどして都職員らの撤去作業を約2時間にわたって妨害した」。この二人に対して東京都は威力業務妨害で訴えていたのだが、「東京地裁は6日、無罪(求刑・懲役1年6月)を言い渡した」というのである。
 理由は「都の撤去工事には手続き上落ち度があり、被告らの行為は同罪に当たらない」というのであり、「小屋はホームレスにとって所有権を有する住居であり、清掃作業の対象として撤去できるとは言い難い」のだそうだ。
 私たちが驚くのは、「小屋はホームレスにとって所有権を有する住居である」というくだりである。彼らがそこに不法に住みついた、ということはわかるが、そんなに勝手に所有権を認めてもらえるなら、私たちはいっせいに自分の好きな所に寝ぐらを作るべきだろう。差し当り地裁の玄関口の近くも、少し面積は狭いが地下鉄に近くて便利がいいし、銀座の交差点の真中、築地の中央卸売市場の中なども食いしんぼうの私の好みに合う。明治神宮の社殿の中、成田空港の管制塔の上、警視庁の玄関口の前、大蔵省の中庭なども、或る種の好みの人には合うであろう。こういう判決を下す奇妙な裁判官がいるから、時々市民は自分勝手に常識を振り廻したくなるのである。駅の公的な空間の占有を許すなどということが、そもそも常識から見て許されないことなのだから、駅構内での立ち売りや客引きなどが許されないなら、居住が許されるわけがない。
 私は今、南米のボリビアからパリヘ向う飛行機の中でこの原稿を書いているのだが、ポリビアの前にはペルーにいた。現地では、日本では聞えて来ないような人質事件の裏話も聞えて来る。もちろんそれらのすべての話が客観的にも正確だとは言わないが、少なくとも日本で伝えられるより現地の空気を濃厚に反映しているだろう。
 セルパという親分が大使公邸に侵入した目的は、日本人が考えるように、階級闘争的な主義主張があるわけではなく、要するに無期懲役になっている妻を脱獄させる手段だった。その妻は何をして無期懲役になったのですか、と訊いたら、つまりテロで人を殺したのだと言う。これも政府に対する一種の逆リンチみたいなものである。
 人質になっていた人たちの話によると、四人の幹部以外はつまり何にでも傭われて金を得ようとする手合いだった。程度にもよるだろうが(スペイン語では、マス・オ・メノスという表現が一番ぴったり来る)金になることなら何でも??泥棒でも人殺しでも??やるだろう、という感じだった。一人のテロリストの青年は人質の日本人に「海軍に入るにはどうしたらいいだろう」と聞いていたという。あれだけの事件を起しておいて、海軍に入れるだろう、と考えるほどの思慮のなさなのである。私は自分の浅慮を告白しなければならないのだが、彼ら若者たちも、少しはセルパたちの思想に共鳴して、世なおし、人助けのために、権力を叩き壊そうとしてああいう行動に出たのかと思っていたのだが、そういう要素は皆無に近いらしい。
 彼らの袋の中には、カップヌードルがいっぱい入っていたというので、私は早とちりして、「え!? 彼らはそんな食料も用意して侵入して来たのですか?」と訊いたのだが、そうではなくて、人質たちの差し入れに送られて来たものを、仕事が終って国へ帰る時の土産のためにピンハネして溜めこんでいたのだというのである。
 つまり私は一応キリスト教徒だから、(実際には実行しないかも知れない癖に)「眼には眼を」というハムラビ法典以来の「当然の決着のつけ方」「現代的正義と平等の行使」「やられたらやり返して当り前」などという常識を一応否定して、「右の頬を打たれたら左の頬もさし出せ」という一種の不条理に深い美学を感じている訳だが、世界的に中立的で冷静な法によって社会が動いていることなどめったにないので、未だに私的な懲罰に近いことが当然のこととして行われているのが普通である。
 日本でもマスコミの論調はしばしばリンチに近い形を取る。いい人の中に部分的に怪しげなことがあることを示す勇気も描写力もほとんどの場合ないし、ましてや悪人だと言われている人の中に、思いがけないいい面のあることなど書く信念は全くない。読者の方も、まさにリンチで相手を殴り殺すための棒や、石打ちの刑で罪人を打ち殺す投石用の石を手にした暴徒と同じで、マスコミが、いい人の中のいささかの悪や、悪い人の中のいささかの善を書こうものなら、不安に陥っていきり立つ。そしてそういう「不純な」書き方をするマスコミは正義に欠けるから、もう読まない、と圧力をかける。それをやられると新聞や雑誌は経営がなり立たないから、いたし方なく、悪人はてっていして悪人、善人は何をしても善人、に仕立て上げる。かくして賢い筈の日本人の精神はどんどん単純化、幼稚化するのである。
 他人のケースを推測で書くわけに行かないので、自分の例を書くほかはないのだが、或る時、私は突然、それまで読んだこともない雑誌に、佐高信という人から、「曽野や猪瀬にとっては、長良川等の自然が破壊されるより、三島由紀夫の家がなくなることが気になるらしい」と書かれたのである。どうして私が読んだこともない雑誌の記事を目にしたかと言うと、会ったこともない読者が送って来てくれたからである。
 何というでたらめな人だろうと思ったのが、第一印象である。私は三島氏が生きておられる時に、一度だけお宅に伺ったことがある。ロココ調を目ざして、ロココにはなり切れていないお宅で少し違和感を覚えたが、私の家など無定見の極だから、他人のことなど言えた義理ではない。もともと私は作家は作品だけが問題で、どんな家に住み、どんな湯呑茶碗や座布団を使ったか、などということは全く作品とは無関係と思い、そういうことも度々書いているから、三島由紀夫邸がどうなったか、考えたこともなかった。夫人も亡くなられた今となっては、お子さん方が、それぞれご自分の道で、のびのびと幸福に暮しておられるといい、と希うだけである。
 それで私はすぐ佐高氏に内容証明の手紙を出した。私がいつ、どのようなメディアで、どのように三島邸のことにふれたか教えて頂きたい、というものである。それに対して佐高氏の返事は次のようなものであった。
「三島由紀夫については曽野さんは発言していませんが、長良川河口堰問題等についての発言からそういう印象を受けるということです」
 旧三島由紀夫邸の処置と(そんなことは他人が口出しすることはないと思うが)長良川河口堰とどういう関係にあるのか、私にはよくわからないが、この河口堰問題に関しては、全く不正確な情報が世間に流布したので、それは違う、ということをこの新潮45にも書いたことがある。
 その一つの例は北川石松元環境庁長官が、長良川は三大シジミの産地だったと平成二年十二月十四日の参議院予算委員会で発言し、それがなくなることは大きな問題だと言っているのだが、それは統計的に全くまちがい、で、長良川は日本の五大シジミの産地にも、もともと入っていないのである。
 このシジミについては、最近また興味ある情報を得たが、マスコミがこれに触れた気配はない(もし書いていて私が読んでいないだけだったらごめんなさい)。長良川の平成八年度のシジミの生産高は約二千トンで過去三年間の最高だというのである。この背後には、土地の人々の賢こさと努力がきちんと示されている。つまりヤマトシジミは、堰上流は淡水化されて繁殖はできなくなっているのだが、成長はすることができるので、業者は稚貝を夏場に上流に投入して、大きくなった貝を秋から冬にかけて取るのだそうである。
 もちろん堰のおかげでそれだけ手数もかかるようになり、値段にも影響しているだろう。しかしシジミ漁が絶滅ではなかったのである。
 ちなみにアユも今年は堰運用以来最高の遡上数だと建設省は言っている。平成八年度の六月頃は累計で百八十万尾に少し達しなかったが、平成九年度は六月十日現在で累計二百二十二万尾余になっているというのである。
 アユを数えるというのは、道路の交通量を数えるのとは違う。いったいどうして数えるのだろう、と私は頭をかかえるが、河口堰反対派と建設省と共同の調査をすれば何とかなることだろう。
 更に河口堰を設置することの可否は、魚やシジミの数とは別の要素も加味されねばならない。しかしデータはデータである。堰を作ることの悪さと良さは同時に、過不足なく示されるべきであって、データを無視して感情で行われるべきではないだろう。
 しかし現代は少しばかり恐ろしい時代だ。私が全く言っていないことを知りながら、私の意見のように言うような人が、世間でコメンテーターになる。そういう人はアジテーターと言うのである。
 私たちの多くは、すべてのことを知ることなどできない。物理的にもできないし、少くとも、私自身は能力としても不可能である。わからないことは、わからないと言うか、沈黙するほかはない。そしてわかっていることでも、それはデータに基いて部分的にわかるに過ぎない。
 今飛行機はキューバの上を飛んでいる、とアナウンスがあった。この便はマイアミに向っている。
 サンタ・クルスの飛行場を発つ時に、一人のボリビア人の修道女が、私を送りに来てくれた。
 ティト補佐司教の代りに見送りに来てくれた、と言う。彼女はほんの数分を利用して、自分は公立学校で教えているのだが、政府が先生の月給を払ってくれないので、助けてもらえないか、と私に言った。私に、というのは、日本財団に対してか、私が個人的にやっている小さなNGOのグループ(海外邦人宣教者活動援助後援会)に対して頼んだのか、私にはわからなかった。
 しかし私は彼女に言った。
「日本では、高額所得者は最高六五パーセントの税金を払っているのです。あなた方も、そういう運動をなさるべきです。私たちは、政府をなまけさせるようなお金を出すことはしません」
 しかし被害を受けているのは子供たちなのだ。私はサンタ・クルスの町で、貧困のために虫けらのように死んで行ったたくさんの人たちの話を聞いた。私は貧困について更に学び、更に深くうちのめされた。
 私はこのシスターと抱き合って別れた。お金を出せても悲しく、出せなくても悲しかった。私は誰を責めていいのかいつもわからなかった。私もすぐ石や棒を持って誰かに投げつけたい方だが、誰に向って投げたらいいかわかる時はほとんどない。
 



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