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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 死に易さ?悪かったことも覚えておく  
コラム名: 自分の顔相手の顔 186  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/10/27  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   昨日のこの欄で、幸福と不幸がどちらも人間を育てる上に必要なもので、どちらもあった方がいい、という話を書いたけれど、これは、戦後の教育がほとんど手をつけなかった解釈だろう。こういうことを言うと、すぐ「貧困や病気を放置するのに賛成なのか」などという幼稚な極限論になってしまうから、口にしたくないと思う時もある。
 いかなる政治体制も病気がいい、というところはない。貧困を押し進めようとする組織もない。しかし病気も貧困も、現世からなくすことはできない。なくすように努めても、一定の率で発生するのを防ぐことはできない。だからむしろ、その願わしくないものさえも「使う」方法を人間は考え、開発し、教育しておくべきだろう。
 最近、私の周辺にも不気味な人たちがいる。その人の責任ではない、という言い方もできるが、その親たちや社会が、教育をしくじったのである。そういう子供たちは、いやなことに耐えるという教育を受けなかったので、精神が強靭にならなかったし、何歳になっても大人にならないのである。自己中心的で、人を許したり労ったり心にかけたり、とにかく自分以外の他人の存在に、深く思いをいたすことがほとんどできない。自分に害が及ばなければ、すべてひとごと、つまり無関心なのである。
 そのように子供じみたまま大人になった人たちの多くは、身内が病気で苦しんだことも、経済的な苦労をしたこともない。家族が犯罪を犯して自分がいわれのない負い目を負ったことも、地震で総てを失ったことも、倒産を味わったこともない。せめて、停電とか、食料品の不足でもあれば、そこでいささかの基本的な苦悩もわかる人間になるのだが、それさえないのだから、幼児性はそのまま残ってしまう。
 慈悲ということは、概念的に、他者がれっきとして「存在」することから始まる。しかし他者が意識の中にほとんどないという薄気味悪い人は、人を殺すことも、見捨てることも、忘れることも何でも簡単にできる。
 特に彼らの特徴は、感謝と祝福を知らないことである。自分とせいぜいで家族しか意識の中にないのだから、自分が人のおかげで生きているという自覚も、人が幸福になるとよかった、という感情の連鎖反応もない。
 先日、或る雑誌の座談会で、私は自分の生涯でよかったことも、悪かったこともよくよく覚えておくことにしている、と言ったら、なぜだ、と聞かれたので「この世がろくでもないところだということをしっかり覚えておくと、死に易くなる」と答えた。充分に嫌な記憶があれば、これでもう、このろくでもない現世にしがみついて生きていなくてもいい、と思える。同時によかったこともしっかり覚えておきたいのは、この私でも愛してもらえたと思えれば、これまた納得して死に易くなる。どちらもあった方が、死にやすいのである。
 



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