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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 幸運?約10億円当てた?その後に  
コラム名: 自分の顔相手の顔 191  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/11/17  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   昨日に続いて楽しい新聞種をもう一つ。
 オーストラリアのサウス・ウエールズ州に住む五十六歳の男性が、宝籤(くじ)で約十億円を当てた。ところが彼はそのお金のほとんどを放棄する決心を表明した。
 この幸運な人の名前は明かされていないが、彼は約九千万円だけを自分で取り、後はもっと必要としている人にあげることにした、と言った。
 「私が使うには多すぎる、ということなんです。
 私はオーストラリア中の知人に『おい、僕が億万長者になったってことを信じられるかい?』って一日中電話していたんですよ。しかし誰も信じられない、って言うんです」
 彼は商人だが、この幸運のために一日も仕事を休んだりはしなかった。
 「働くのを止めるのは嫌いなんでね。金が入ったら、そう、今までよりもう少し多く、休みを取って、魚釣りをしたり、プールで泳いだり、多分、ゴルフもしたいとは思っていますがね」
 人間ができることには、すべてに限度がある。使えるお金にも、時間にも、心遣いにも、である。その限度がないのは、人に注ぐ愛だけなのかもしれない。
 だからお金は少しはあった方がいいが、使えないほどある必要はない。それがわかっているこの人は、賢明であった。
 金銭的な大きな幸運は羨むほどのことではないのである。賞というようなものが与えられる時、多くの人は、もうお金が自分のためには要らない状態になっている。或いは、前後の行きがかりから、賞金を自分のものにはできないようになっていることもある。賞金は多くの場合、それが要らない人に与えられるものなのである。
 他のすべての予期しない幸運もそうだ。悪銭は身につかない、と言うが、自分でこつこつ勝ち取ったものでない限り、ほとんど全ての幸運と金銭は身につかない。それどころか、堕落、病気、裏切り、退廃、不和などの種になることが多い。
 この五十六歳は、平常心を失わなかった。この人なら、バブル経済の絶頂期にも、借金して土地投資をしたりはしなかったろう。
 自分が必要とするものだけ、感謝して使うことを運命に許してもらい、後は、要る人に回す。そうすれば、物もお金も生きる。私たちは、人も物もお金も殺すべきではないだろう。
 通俗的な悪意ある見方もおもしろい。つまり運命は、要らない人に金を贈る皮肉が好きなのだ。それはもっと彼の心を虚しくさせるためである。そこから立ち直るか、金や幸運の毒に全身をやられるかは、その人の選択次第である。
 オーストラリアのサウス・ウエールズ州のどこかで、健康に日焼けしたこの人に会ってみたい。「もちろん、幸運はとてもおもしろかったよ」と彼はのびのびと答えそうである。
 



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