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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 母のしつけ?自分のことは自分でできる  
コラム名: 自分の顔相手の顔 5  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1996/11/25  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私は小さい時から、すべての家事ができるようにしつけられた。中でも母が一番熱心に教えたのは、お手洗いとごみ箱の掃除であった。昔は便器を刺激臭のある強い酸で洗ったので、母はその仕事だけは自分でやり、他のことは私にさせた。
 「人間、一番汚いものの始末ができるようになると、後は恐ろしいものがなくなるの」
 もっとも私は強度の近視だったので、母は縫いものだけはしつけるのをためらったらしい。私はお裁縫の時間には、お喋りをしながら縫うふりをして、家で母に適当に下手に縫いなおしてもらっていた。しかしいざとなれば、私は下手な縫い方ならできる自信があった。できているものをばらしてこっそり縫い方を見ればいいのだ。小説だって書き方はすべて自己流で学ぶのだから、縫い物だって同じだろう。
 母が私に簡単な銀行の業務まで小学校のうちに教え込んだのは、私が一人娘だったからである。母は私がいつ親と死に別れても、何とか生きられるように、一刻も早くしておこう、と考えていたようである。
 その中にはいろいろなことがあった。保証人にはいかなることがあってもなってはいけないということだって、小学校のうちから教えられたが、もっと傑作だったのは、食い詰めた時の身の処し方だった。
 母は私に「将来、食べられないようなことになったら、すぐ見つかって捕まるようなところから盗みなさい」と教えた。戦前は、国家が不運な人の生活をみるなどという発想がないから、食べられなくなれば、すぐそばに朝日新聞社があった数寄屋橋の上で乞食をする他はなかった。橋の上に座って、缶詰の空き缶に小銭を入れてもらうのである。「すぐ捕まるように」というのは、盗みで人に迷惑をかけてはいけない。しかし盗みをしてすぐに捕まれば、品物かお金は確実に持ち主に戻る。そして窃盗をした私は、捕まることでその日から食べられるようになる。それでも自殺はいけない、という論理である。
 ここまで切羽詰まった立場を想定して教育してくれたのだ。こういうのを最高の教育と言うのだろう。だから私が、今日までまだ盗みをせずに生きて来られたのは、私が道徳的だったからではなく、今日の食べ物に困らなかったからだ、と思っている。
 日本で犯罪が少ないのも、単純にそういう理由だ。食べられなかったら、誰だって盗む。この感覚があったおかげで、私は途上国の調査などしていても、彼らの行動を防ぐこともできたし、深く非難もせずに済んでいる。
 母が私にしつけをしたのは、ひたすら私が自分で生きられるようにするためであった。健康なら、自分のことは自分でできるというのでなければ、人間ではない、と母は私に教えた。その通りだと思う。それなのに、今、巷には、まだ自分で家事のできない男たちがたくさんいる。
 



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