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振り子列車X2000 「北欧」とひとことで言うが、北欧五カ国(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、アイスランド)はそれぞれ異なる歴史と文化を持っている。このうちS・D・N三国はスカンジナビア(女神スカディの国)と称し、北方ゲルマン民族の末裔で共通点が多く、Fとは異質の空間を形成している。 この程度の北欧概論は、出発前に予習しておいた。だが陸続きのフィンランドとスカンジナビア三国とは、鉄道線路の幅が異なるので、相互に列車が乗り入れていないことは、現地を旅して始めて知ったのである。 「フィンランドからスウェーデンまで列車で来たかったが、日程が短か過ぎて、飛行機で……」と言ったら、ストックホルムで雇った車の運転手ダンに笑われた。 「フィンランドの鉄道はロシアにつながっている。スカンジナビア三国間は、国際列車が走っているが、あちらの鉄道は別の世界だ。フィンランド・スウェーデン国境を鉄道で渡ることはできないよ」というのだ。このエピソード、「旅の恥はかき捨て」と言えるほど大ゲサなものではないものの、私のちょっとした失敗談ではある。 さて、そのスウェーデンで、旅のスケジュールをやり繰りして、次の目的地、デンマークを目指して鉄道の旅を試みたのだ。二〇〇〇年九月。晩秋というより初冬の色濃いストックホルムから、デンマークの首都コペンハーゲンに最も近い都市スウェーデンの南端にあるマルメまで特急列車に乗ってみた。 スウェーデン語で列車のことを「TAG」というと教えられた。帰国後調べてみたら、デンマーク語では「TOG」であり、スウェーデンとほとんど同じ言葉だった。だが、フィンランド語は「JUNA」であり言葉の系統が明らかに異なる。言語からみても、フィンランドはスカンジナビア三国とは異なる歴史と文化を持つ国であり、鉄道も帝政ロシアが建設したものだった。国境で列車が接続しない“不思議”の謎がやっと解けた。 ストックホルム中央駅午前十時十八分発マルメ行き特急列車。「X2000」と命名するこの国ご自慢の新型列車に乗った。時速二百キロを出すと宣伝しているが、新幹線よりも遅いし、乗り心地はよくない。力ーブでもスピードを落とさずに運転できるように「振り子構造を応用した車体」とかで、右に左にやたらに揺れるのだ。メモを取るペンがしばしば、ノートの上で迷走する。 『この国の機能主義は安全第一。乗り心地など視野になし。スウェーデン人の安全と平和志向は、パラノイア的なり。ストックホルム滞在中、勝部さん(通訳のサンドヘリ・敦子女史)に興味深きスウェーデン人気質を聞く。車のシートベルトとエア・バックの発明者はスウェーデン人なりという。またTerrolist Fighterなる米国映画上映の際、題名をわざわざPeace Negotiatorと改名、この国の平和と安全のモットーを貫き通したともいう。やり過ぎなり。この列車の設計者も、かくの如き哲学の持主ならん』。車中で不機嫌な揺れに抵抗しつつ記した私の旅のメモには、そう書かれていた。 「バックパッカーのカップラーメン」 「ちょっと、こじつけっぽい」のそしりは免れないかも知れぬ。でもこれが私のスウェーデン特急初体験の実感であったことは間違いない。不機嫌な揺れにあてられたところで、もうひとつ不機嫌な材料が重なった。日本の旅行案内書には、“食事つきの一等車で楽しい森と湖の旅を”とあったのだが、一杯のコーヒーが無料で配給されただけで、いっこうに昼食を持ってくる気配がない。検札の車掌に質したら「軽い食事ならある。ビストロで売っている」とそっけない。案内書か鉄道会社か、どちらがインチキなのかはわからずじまいだったが、とにかく“看板に偽りあり”だ。 私は、一人旅のときは、用意周到、可能な限り先の先を読むことを心掛けている。今日は、出発前駅のFOREXで、念のために若干のスウェーデン・クローナとデンマーク・クローネの現金を両替しておいて救われた。これは、長年の旅の知恵というより、失敗の積み重ねの産物なのだ。車中で「昼食はタダでない」と宣告されたとき、十年も昔の苦い記憶がよみがえったのである。 パリ南駅からマドリードに向かうべく夜行特急を国境でスペインの普通急行に乗り継いだ際の出来事だった。税関を通過したら、はや発車ベルが鳴っている。大荷物をかついでやっとの思いで列車に飛び乗った。そこまではよかったのだが、空腹に苛いなまれたのである。ビストロ車内で、掛け合ったのだが、「仏フランは絶対に受け取れない。スペインのカネはないのか」の一点張りで、水にも食物にもありつけず、七時間も飲まず食わずで、マドリード中央駅にたどり着いたというお粗末な古い記憶だ。 同じ一等の車中には、カップラーメンをすすりながら、一人英語の本を悠々と読みふけっている東洋人の若者がいた。「X2000」の車中で求めたサンドイッチのまずかったこと。カップラーメンが大変なご馳走に思えたのである。スペインの教訓で、辛うじて餓えは免れたものの、この一人旅の若者の用意周到さには兜を脱いだ。米国在住の韓国人学生だそうで「バックパッカー同士の情報交換で、スウェーデン特急の食事は高くてまずいと聞いていたので、ビストロで熱湯だけもらってきたよ」とのことだった。やはり私の一人旅はバックパッカーの若者にはかなわない。 車窓は期待したほどの景色ではなかった。多分に私の不機嫌もそうさせるのだろう。ダイナマイトで岩を砕いて開いた鉄路の切り通しを抜けると灰色の湖、紅葉も黄葉もなし、冬景色である。赤い大ツブのナナカマドだけが鮮やかだ。やがて牧草地を走る。乾草のロールが、点々と見える。そのうち森と湖、そしてまた森と湖。森と湖の光景を一分間ごとに繰り返す。 「今や山中、今は浜。今は鉄橋渡るぞと。思う間もなくトンネルの闇を通って広野原」の小学校唱歌のような車窓の光景の多様性はない。オーストラリアほど単調ではないが、要するに森と湖の無数の組み合わせを走る高原列車と思えばよい。 ハッセルホルム駅に停車する。かなり大勢の人々が降りて、ホームの反対側に停車中の列車に乗り換えている。この列車はコペンハーゲン行きで、バルト海沿岸のストックホルムから北海側のデンマークに行く人々のための交通手段だった。北海側のヘルシンボルグで、列車ごと連絡船に積みこまれ、海峡を二十分も航行するとデンマーク領に入り、そのままコペンハーゲンに到着する。それがわかったのは、東京の旅行代理店発券のクーポンはともかくマルメ行きになっていた。コペンハーゲンに着いてからで、後の祭りだ。 そこからマルメまで、約三十分。やっと遠景が開けてきた。平原に入った証拠であろう。森林が疎らになる。農村地帯に入る。馬々、牛々、白羊の群れ。ポプラ並木が見える。線路脇に「平坦なゴルフ場があるな」と思ったら、とたんに都会らしくなり、南端の海洋都市マルメ中央駅に着く。ここでもうひとつの失敗に気づかされたのである。 ヘリコプターで行く阿呆? 東京の旅行代理店に渡された周遊航空券の綴りを調べたら、マルメ→コペンハーゲン間が飛行機になっている。海峡を隔ててわずか十キロ余の距離をなぜ飛行機で……。何かの間違いではないか? あわてた私は駅の観光案内所に飛び込んだ。 「昔はヘリで対岸に飛んだ。でも今は橋が出来たから、車で行く。ヘリポートはすぐ近くの港にある。そこで確かめたら」と頼りない返事が返ってきた。大荷物を引きずって中央駅前に並ぶタクシーに、「ヘリポートに行ってくれ」と掛け合うと「そんな場所は知らない。後の車と交渉してくれ」と乗せてくれない。後の車もまた同じ。 近過ぎるゆえの乗車拒否とピンと来た。三台目の車のドアを開け「コペンハーゲンの下町まで行きたいのだが、何かいいアイデアはないか」ともちかけた。たちどころに機嫌のよい声色で「YES SIR。お前は日本人か。今どきヘリで、コペンハーゲンに行く奴はよほどの変わり者だよ。一日四便くらい出ているらしいけどね」と説教された。車は新装の国際海峡連絡橋をつっ走り、四十分でコペンハーゲン国際空港へ。ここからデンマークのタクシーに乗り替え、会議出席の仕事の待っているホテルに無事たどり着いた。 幸いS・D両国のタクシーはクレジットカードを扱っていたのでなんとかなったが、それにしても、うかつだった私の鉄道の旅。東京の旅行代理店の不勉強と間抜けさに、一時はカリカリと来た。 その夜、ホテルで旅日記に「昭見五蘊皆空。度一切苦厄。色即是空。空即是色」と柄にもなく般若心経の一節を記した。まあいいじゃないの。しょせん浮世の出来事は、うつろいやすいかりそめの現象に過ぎない。考え過ぎたり、怒ったりしても、禄なことなし??と思いたかったのである。
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