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五月二十六日 皇后陛下の御歌集『瀬音』(大東出版社)を読む。 いつも皇族の書かれた書物に対しては日本のマスコミは「さわらずふれず」が多いのだが、今回だけは「週刊文春」がはやばやと特集を組んだ。もっとも記事の中で、「この年から美智子さまに対するバッシング報道が始まった」とひとごとのように書いてあるのには苦笑した。手順を踏んだ調査もせず、不確かな記事でバッシングの先頭に立ったのは、他ならぬ「週刊文春」であったのだから。この記者自身がパッシング記事を書いたわけではないだろうが、自分の雑誌のしたことくらい、少し用心して調べる程度の羞恥心はあってもいいように思う。 前女官長、松村淑子氏の書かれた後書きによると、皇后陛下は、まだお小さい時から和歌らしいものをお詠みにはなっていたが、本式に勉強されたのはご成婚が決定した後、いわゆるお妃教育が始まった時からだと言う。 皇后さまは、皇室に入られなければ、どこかで歌人になっておられたかもしれない。 「かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ」 世間でいつも取り上げられる御歌の他に、心をうつ作品がいくつもある。 「去年の星宿せる空に年明けて歳旦祭に君いでたまふ」 元旦の早朝、陛下はまだ星の光る厳しい寒さの中で祭儀にいでます。これは皇居のご生活を、清冽に覗かせた一首である。 しかし私は亡くなられたライシャワー氏を偲んで作られた三首に、上質の長編を読んだような気になった。 「雨なきに秋の夕空虹たてばラホヤに逝きし君し偲ばる」 「一つ窓思ひて止まず病みし君の太平洋を望みましとふ」 「海原に海の枕のあるときく君が眠りの安けくあらまし」(遺灰は海に撒かれぬ) かつて鯨捕りの男たちが活躍した港でもあったラホヤの光溢れる町には、引退した海軍の提督たちもたくさん住んでいる。あの透明で柔らかな海の眺めに晩年のライシャワー氏は執着したのだろう。すべての人に悲しみは同じだけ与えられている、と思わせられる。皇后陛下はそれを三首の御歌で表現された。 五月二十八日 朝六時半、夫と車で家を出る。こういう純粋に私的な旅行は、将来そのことを書けば取材、書かなければ遊びになるという手のものだ。 東北道へ向かう。 何という瑞々しい季節。山は百種、千種の緑で溢れ、おおでまり、えにしだの花が咲きこぼれている。去年一年足の骨折でほとんど運転をしなかったが、こうして再開してみると、別に特に下手になっているわけでもない。右足を折ったのが不運だった。今のオートマティック車では、全く使わないで済む左足を骨折したのなら、ずっと運転できたのに。 何と隅々までよく整備された国家だろう、と思う。路肩は整えられ、田舎の道でも歩道がつけられ、どこにも禿山などなく、道端には花も植えられ、家はアルミサッシで隙間風など入らないように見える。すべての施設には清潔な手洗いと電話の設備があってどれも壊れていない。こんな国家が地球上、そうそうあると思ったら大きな間違いだ。 しかしそれだけに、国家予算を長い間赤字にして放置していた総理たち(宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山)は何をしていたのかと思う。国家も家庭と同じで、時には経済を詰めたり、国民に我慢させたりして財政の辻棲を合わせるのが任務である。それなのに、権利という言葉で、耐乏せず、要求するだけうまくなった国民に評判の悪くなりそうなことを、これら総理たちは何もしなかった。 農業に関しても、全く弱体で、今のままでは国民の食料も自給自足できない、と言うから、手放しでこの国を讃えていてはいけないらしい。 今日は御所湖畔の繋温泉で泊まる。ダムでできた異様に若い湖。水辺すれすれまで木々が繁っている。 五月三十日 朝、子安峡から、電話で三好京三氏と喋る。氏の住んでおられる前沢町にも温泉が出たと言う。歌では玄人はだしの三好氏を経営陣に加えて、徹底したカラオケ設備を備えた温泉が一つあってもいいから、前沢温泉ではなく、空桶温泉と命名したらいかが。 宿ではお風呂でも廊下でもすべてカラオケが歌えるような設備にする。女中さんもカラオケを歌いながらお皿を運ぶ。声帯エステ、声のよくなるメニュー、などすべて備える。私はカラオケに行かないが、好きな人にはその設備があるのがいいと思う。 宿を発つ時、前のよろずやで名物の稲庭うどんの裁ち落としを二袋も買った。大袋一キロ入り千円である。 偏見かもしれないが、長さも太さも疎らな裁ち落としの方が味におもしろさが出るような気がしてならない。それに昨日初めて稲庭うどんのほんとうの味を知ったので、帰ったら早速作ってみたくてたまらない。夫は、牛肉とカステラの裁ち落としは知っているが、うどんの裁ち落としなんて聞いたことがないと言う。一袋は食べ盛りの男の子が三人いる知人へのおみやげ。 南下する道は深い霧。
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