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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 来年は来年?金がなければ買うな  
コラム名: 自分の顔相手の顔 20  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/01/27  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   昔子供の頃、父も母も、私が何か欲しいというと、必ず「欲しいものをすぐもらえるということはありません」と言い続けた。時には、「うちにはそういうお金はないのよ」とはっきり言うこともあった。
 昔はほんとうに簡単だった。お金があれば買う。お金がなければ溜めて買う。お金が溜まらなければ買わない。借金をして買うと後が怖い。
 それが昭和三十年代後半から、突如としてこういう素朴な素人の論理は間違いだ、ということになったのである。初めて私が耳にした奇妙な言葉は、
「来年のお金まで使うほうがいいのよ」
 とアクマの囁きみたいな、甘い言葉であった。私はもう三十歳を過ぎていたのに、来年のお金は来年にしか入らないのだから、どうしたら今年使えるのかさっぱりわからなかった。つまり日本の経済がほぼ間違いなく毎年急成長するような時には、今年の借金は、来年帳消しにできる可能性があったのだ、ということだろうが、ほんとうの理論は今もってわかっていない。
 バブルの前には、私も知人友達から、不動産を買って借金を作るといいのよ、と時々言われた。借金があれば、相続の時その分を差し引いて貰えるから、相続税が楽になって子供孝行になる、というのである。
 私も一度だけお金を銀行から借りた体験がある。父と母が離婚する時、私は父から時価よりほんの心持ち安い値段で、それまで住んでいた家を買い受けることになった。そうでなければ、もう若くもなかった父には、別の婦人と正式に結婚して、新しいこぢんまりとした新築の家を買って再出発する資金などあるわけはなかった。
 銀行でお金を借りたのは、その時、税務署が納得するように、きちんと父との間で売買の金を動かすためだったのだが、それだけでも私は心配で胃が痛くなった。利息を先に差し引かれることも驚いてしまった。それに懲りてバブルの時代に、どんなに勧められても不動産投機などしようとは思わなかった。銀行からでも借金をするということは、つまりは高く買うことだとしか思えなかったのだ。
 金がなければ買うな、というのは欲望を抑える一種の教育であり、道徳であった。しかし今では蓄財の技術が、道徳など押さえつけてしまっている。自分の家を買うというような、一生に何度もないような重要な場合を除いて、「金がなければ買うな」という自然の生き方を親も社会も口にしなくなっていたのだ。ローンというのは、赤字国債と同じで、問題の「先送り」をしていることである。
 援助交際などというものが、ティーンエージャーや主婦の間に蔓延しているというのは、素朴に「金がないから買うな」と誰も教えなくなって、金はどこかから入って来るものだ、というアイマイさが社会にだらしなく認められるようになったからだろう。
 



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