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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 道楽?道を楽にして楽しむ境地  
コラム名: 自分の顔相手の顔 14  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/01/06  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   私のうちでは、夫が自分でベッドを直す。毎朝、部屋の窓を開け放ち、きれいな空気の中で、ぴしっと寝床を整える。
 昔からやっていたのではない。しかし下地はあったというのだ。軍隊である。彼は帝国陸軍最後の兵隊で、二等兵止まりで終戦になった。ちなみに若い人たちのために言うと、三等兵というのはいないのだ。二等兵が一番下っ端である。もう少し戦争が続けば、彼も幹部候補生の試験を受けられたのだろうが、二カ月で戦争が終わってしまったのである。
 数十年が経って、或る時から、彼は突然、ベッドを直すことにした。全身のストレッチ運動だと感じたのである。それに……昔軍隊で鍛えた腕を振った仕上がりのみごとさを見ると、とうてい女房のいい加減なやり方ではガマンできない。
 しかし軍隊式ベッド・メーキングの訓練には限界があった。旧軍には充分に長いベッドカバーなどという贅沢なものはなくて、ちょろっとした長さの布があるだけだった。だから枕を組み込んだカバーの掛け方がいまいちうまく行かない。
 そう思っていたやさき、或る時地方のホテルに泊まった。午前中の仕事を終えて部屋に帰ってみると、ちょうどお掃除の女性が部屋を整えてくれているところだった。そこで夫は、彼女にカバーの掛け方のこつを習った。今日からでも一流ホテルで働けるほどの腕前になったのである。
 夫は、いつの頃からか、時々料理もするようになった。毎日ではないが、何かの理由で自分が一人で家にいることになると、勇気りんりんとして台所に立つのだそうだ。女の料理なんて、何だ。十年一日の如く、同じ材料の組み合わせで、同じ味ができりゃ成功だと思っている。しかしボクがやれば、フランス料理のシェフも日本の板前も、一度も考えなかったようなコンビネーションと作り方を考え出してやる。
 この頃、朝「今日はホットケーキを食べましょうよ」ということで一致すると、私はバターとメープル・シロップとお皿を用意して、ちんと坐って待つことにしている。アメリカ風の薄いパン・ケーキを焼く技術にかけては、夫は私よりはるかにうまい、ということになったからである。
 私は昔から勝気ではなくて、自分より人の方がうまいということは、すぐその人にやってもらおうとする癖があった。その方が結果がいいし、私は楽ができるし、うまい人は自分の技術を見せる出番が廻って来るということなのだ。双方にとっていいことが、この世にあるのなら、それをしない法はないではないか。
 夫に言わせると、自分がいやいやさせられる、と思うと惨めなのだが、自分が道楽ですると思えば、すべてなかなかの楽しみの種なのだと言う。道を楽にして楽しむ境地になるのがほんとうの道楽というものなのだろう。
 



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