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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 神と母からの贈りもの  
コラム名: 昼寝するお化け 第121回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1996/12/20  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   この十二月十五日の日曜日に、今私が働いている日本財団も主催者の一人となって、「東京ふれあいマラソン第一回神宮外苑ロードレース」というのを行う。何がふれあいかと言うと、車椅子や視力に障害のある人たちと足も視力も普通に使える人たちがいっしょになってマラソンをするのである。
 今まで、同じコースを一般ランナーと車椅子ランナーが別々にスタートして、二つの集団として走るのはあった。しかし今度は周回コースを何周も同時に走るからおもしろい。
 これは私が日本財団に来た時からやりたかったものであった。そのきっかけになっているのは、イスラエルで見た一つの光景である。
 エルサレムの旧市街には、その昔、イエスが十字架を担がされて処刑場のゴルゴタの岡まで辿ったとされる「ヴィア・ドロローサ」という古い石段の道がある。その不規則な石段は何十段もあって、私たちは車椅子を数人で担いだり押したりして行くのである。男性なら車椅子一台に三人、女性だけだと四人から五人かかる。障害者たちは「すみません」とお礼を言われるが、私などは不謹慎にもこの肉体労働を「エルサレムのお御輿担ぎ」と称して、それをやらないとその年の巡礼に来たような気がしない、と逆に楽しんでいたので、お礼はこちらから言わねばならないのである。
 しかしいずれにせよ、車椅子は一人では階段を上がれなくて当然、というのが私たちの認識であった。ところが或る年、私たちは同じ道でやたらと陽気な青年の一団に会ったのである。それは車椅子の青年たちで、笑ったり大きな声を上げたり、ほんとうに楽しそうな上、付添いもなく、石段を一人で自由に上がってしまうのを見て、私は呆気にとられた。
 今までこんな光景は見たことがなかった。聞いて見ると、詳しいことはわからないのだが、ドイツの車椅子のバスケット選手が、聖地巡礼に来ていたようであった。
 私たちは単純な認識を改めなければならない。足の達者なランナーと車椅子の人とがいっしょにマラソンをすると、車椅子が倍に近い速さで、一般のランナーを抜くのである。ところがたいていの素人は、車椅子の方が遅いと思っているから、そこで「えっ?」とびっくりしている。
 今度のロードレースも、募集の方法は実行委員会のプロたちが考えてくれたものなのだが、距離も一般の人は十キロ、車椅子は二十キロで対応する。同じ距離を走ったのでは、車椅子はあっという間に駆け抜けて、十キロぽっち十五分くらいでレースを終わってしまうからなのだ。
 毎年のイスラエル旅行には、盲人の方たちもいっしょなので、私にも眼の悪い友達がたくさんいる。今度のロードレースには、盲人も参加する。一般ランナー、車椅子ランナー、伴走者つき盲人ランナーが、いっしょに走るのである。
 私はこの盲人ランナーについてもかなり甘い見方をしていた。ちょっとその辺で走りこんだ人なら伴走者になれると思いこんでいたのである。ところが、そんなことをしたら、盲人ランナーが眼の見える人を引きずって走ることになるのだと言う。そんなことにでもなったらほんとうに申しわけないから、伴走者は相当な選手でないと、とても務まらない。
 このレースを前に、身障者のためのスポーツ情報誌「アクティヴ・ジャパン」の編集長、山崎泰弘氏に会った。氏もアメリカで過ごした高校時代に、怪我が原因で車椅子の生活をするようになったが、言いたいことを言い、生きたいように生きている人の典型である。
 彼は自分の雑誌の中から「アトランタ・パラリンピック速報」を集めた特集号をくれたが、この雑誌の写真ほど最近心をうたれたものはない。そこには、障害者だから、という差別も、区別も、余計な労りも何一つない。
 十三歳のレアン・シャノンは、下肢がきかない体らしいが、上半身は伸び伸びと力強い体格に育ち、百メートルに世界新記録を出した。「ミスター・車椅子スポーツ」と呼ばれるランディー・スノウの表情は、あくまでたくましく、みごとな肩や腕の筋肉の塊は、うっとりさせられるほど美しい。

 パラリンピックの報道が何故少ない
 山崎氏自らがカメラマンとして撮影した水泳の飛び込みの写真は、ことに感動的だった。選手の一人は左手だけが普通である。右手は、まさに二十日大根の短さと形である。右足は太股の一部から小さなオレンジほどの痕跡を残すだけだし、左足は腿だけ人一倍筋肉隆々とした男性のもので、その下に細く伸びきっていない短い足がついている。サリドマイドの被害を受けた世代が、こうして壮年になっているのである。
 その向こうのレーンにいる人は、細く萎えた右手が、飛び込む瞬間にも、背中の方に曲がってしまっている。これでは泳ぐ時も使えないだろう。山崎氏に「どういうご病気なのかしら」と聞くと「半身麻痺じゃないかと思います」と言うことだった。
 それでいて、彼らはすぱらしい速度で泳ぐのだ。浮いているだけでやっとの私なんかとうていついて行くこともできない。
 車椅子バスケット・ボールの選手には、左手も手首から先がない人がいる。それで自分の車椅子も廻しボールも取るのだ。私たちがどんなに自分の肉体を開発してないかがわかる。
 一番美しく見えたのは、日本人には出場者がなかったという馬術の選手の姿であった。
 その人も両方の手としては、肩からいきなり指のような短いものがついているだけだった。やはりサリドマイドなのだろう。そういうことがわかるのは、正式の騎手の服がわざと半袖になっているからである。長袖にしたら、多くの人には彼の両腕が、精巧な人工関節を持った一本の金属の棒なのだ、ということがわからないから、意識的に半袖にしているとしか思えない。
 この人も、自分の肉体を隠してなどいない。その姿こそ、彼自身なのだ。神と母が彼にくれた、二つとない特別の肉体なのだ。
 だからこそ、いとおしみ、慈しみ、最高に使い切って暮らしている。オリンピックもドラマだろうが、パラリンピックの方がもっと陰影の濃いドラマだろう。その報道が少なすぎるのは、記者たちに人生を理解する力が少々欠けているからである。
 神宮外苑ロードレースを続ける場合、健常者の車椅子出場も考えていいと思う。それで互角に腕力を競い合って「勝負、勝負」である。車椅子も一つの道具なのだから、誰でも使って改良に努め、皆が愉快に楽しめばいい。
 もう既にエントリーしている人は二千人を越えた。その日、私は生まれて初めてスタートのピストルを撃つので少し緊張している。
 



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