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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: ほくそ笑む人々  
コラム名: 昼寝するお化け 第143回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1997/11/21  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   今年のノーベル平和賞は、ICBL(対人地雷国際キャンペーン)とリーダーのジョディ・ウィリアムズさんに贈られたというので、それ以前から続けられていた地雷禁止の運動がいっそう盛り上がっている。
 私が働いている海外邦人宣教者活動援助後援会という小さなNGOは、過去にカンボジアの地雷で負傷した人たちに義足を装着してもらうためのお金を出したことがあった。私たちはそれを長く続けてもよかったのだが、その引受け先である日本の或る医大の責任者が、途中であっさりとアメリカに行ってしまって、運動はあまり永続きしなかった。今でも、どうして? と思う。
 地雷に関しては次の二点が大切であろう。
 第一は、敷設された地雷の除去と地雷で負傷した人たちの社会復帰と残された家族への援助。
 第二は、地雷製造禁止に向けての現実的な方途である。
 第一の問題から考えて行こう。
 地雷の除去は、敷設した人にやってもらいたいといつも思うのだが、そういう人たちに限って全く無責任である。人間のレベルに達していない。日本人に責任はないのだが、危険だから誰かが後始末をやるほかはない。
 しかし地雷除去のためのお金が用意されたとなると、今後、国際詐欺師たちと、その当事国の汚職官吏たちが恰好の儲け口とばかり寄って来ることは目に見えている。我々がお金を出せば、地雷除去の作業が誠実に行われる、という保証はどこにもない。
 地雷の除去は、まず危険な仕事である。誰もほんとうはやりたくないから、よほど優秀な技術と責任感のある人でなければ、徹底した仕事をしないで、手抜きをするだろう。そして世間には、技術と責任感のある人というものもそれほど多くはないのである。
 地雷除去のお金は、だから誰がどういうシステムで実際にどのような作業に携わるのかをはっきりさせて使わなければならない。そしてその通りに作業が行われているかどうかの監視も常に行われなければならない。これも言うは易く行うのはむずかしい仕事である。
 日本人の中には、人道的な目的のお金は正しく使われる、という子供のような幻想を抱いている人が多い。そして貧乏人や病人の金を一番近くで盗むのは、別の貧乏人と病人だということを知らないのである。
 貧しい人や病気の人の金を盗み得る人は、その国のすべての権力者である。大統領、首相、閣僚、議員、官吏、軍人、警察官、教会の神父や牧師、医師、教師、ケースワーカー。もちろん中には善良な人もいるのだが、平気で盗む人もたくさんいるというのが現実だ。
 ダイアナ元妃が残した基金も地雷除去に使われるという。そのお金が動くとなると、どっとこの手の泥棒が集まって来る。これは地雷除去だけの話ではない。お金の流れの相当な部分は、泥棒と汚職で消えて行くと考えるのが、お金を動かす者の任務だと思う。
 第二の問題点を考える。
 政府は十月十四日に対人地雷禁止条約に署名する方針を固めた、という。「これまで政府は(一)中国など主要な地雷生産国が加わらなければ実効性がない(二)長い海岸線を持つ日本の防衛には対人地雷が必要などの理由を挙げ」て反対していたが、「対人地雷廃絶を目指す民間団体のノーペル平和賞受賞が決まったことで条約署名を求める内外の世論が高まり」小渕外相も賛成派だったので、外務・防衛両省庁も折れた、という経緯だと言う。初めは英、仏、独に加えてロシアも条約支持を表明したところから、日本の態度もすんなり決まったようである。
 しかし十月三十一日になってアメリカは対人地雷全面禁止条約への署名を拒み、その代わりに「地雷除去二〇一〇年計画」を発表。そのための予算を約九十六億円に引き上げた、というのが今日までに私たちに与えられた情報である。

 「自ら武器を棄てる愚かな人たち」
 対人地雷全面禁止条約をことのほか喜んでいる国家はいくつもある筈だ。それは、自分は決して禁止条約に署名する気のない国々である。日本人はこういう人々を改心させられる、また改心すべきだ、と考えるのだが、そういう人々は決して改心などせず、むしろこうした事態の成り行きをほくそ笑んでいるだろうと思う。
 アメリカはその点、賢くやったという他はない。地雷には「条約に署名せず、しかし使わない」自由も選択も残されており、それが一番いいのである。つまりそれで相手に対する抑止力を残せる。また万が一日本なら防御の目的で使ったとしても、敷設した場所を明確に記録する地図を作るから、除去も比較的簡単に可能である。
 しかし今度の条約に加盟しない国々こそ、敷設の仕方もめちゃめちゃ、除去のことなど全く考えない使い方をするのだから、それ以外の国々のこうした人道的な行動は、逆の意味で彼らに高く評価されるはずだ。自ら武器を棄ててくれるとは、何という愚かな人たちだろう。しかし自分たちにとっては、これはまさに神のご加護としか思えない幸運だった、と。
 国際的な禁止条約には通常罰則がない。だから有効性もない。有効性は経済制裁以上の罰則ができた時にしか発揮されない。なぜなら、すべての人間は卑怯で弱く、しかも利已主義者であるからだ。しかも条約はいくらでも抜け穴がある。簡単に破棄も違反もできる。外交の歴史は、また条約破棄の歴史でもあった。
 それをアメリカは知っている。日本の政治家がどうして知らないのか、私にはわからない。作家として残る人生を、「悪」の追究に当てようと思っている私としては、このごろ日本人のこの手の善良さに出会うと頭が痛くなって来ることが多い。それを取り去るには、頭痛薬ではなく、さらにものごとの裏を考える他はない。
 私は政治家でもなく、軍人でもなかったことをつくづくありがたいと思う。私は大きく間違った道を人に強要しないですむ。しかも私はもう間もなく死ぬ人間だ。善人としてではなく、悪人を自覚して死のうと思っている。いずれにせよ責任がない一市民はしあわせなのである。もっとも若かったら地雷除去会社の社員にはなっていたかもしれない。性格も合っているし、九割の金儲け目当て、一割の愚かしい使命感のためである。しかしこの年になると、そんなドラマも笑い話で済む。
 このような動きがあるはるか前から、私の働く財団では地雷除去のための支援の話が出ていた。実際に有効に使われるなら出すべきことだ。しかし人道的な支援ほど、目的も方途も実に明確でしかも自由な監査が許されなければならない、と私は心に決めている。
 



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