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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 人間性?人生型通りでは面白くない  
コラム名: 自分の顔相手の顔 164  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1998/08/03  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   仕事でヨーロッパへ出張の途中、ミラノの友人の所で、数日骨休めをした。
 いつもイタリアへ来る度に思うのだが、ここでは絵画のように人生が見えるような気がするのである。ミラノも洒落た町だが、住人がすべてイタリア・ファッションを着ているわけではない。生活に疲れた表情の滲み出た中年もいれば、いかにも金のなさそうな娘もいる。しかしその一人一人が、絵になり短編になっている。
 この町には時々乞食がいる。友達は、彼らの前を通りかかると、その人に関する噂や特徴を話してくれる。あの犬を三匹も連れたうちひしがれた感じの大柄な青年は、いいうちの息子だったらしい、とか、あのお婆さんの乞食はけっこうお金を溜めているというような話である。名物のお婆さん乞食は、私が見た時はカフェの隅の椅子に座ってカンカラを振っていた。しかしちゃんとはでな口紅をつけている。根性は知らないが、外見はかわいい感じのお婆さんだ。だからカフェの店主も追い立てないのだろうし、町の人の中にはファンもいるかもしれない。
 もう一人、実際の自分の年よりわざとふけた中風病みの演技をする乞食がいるという。演技も疲れるから、時々休んでタバコを吸う。その時、ひょいと若い顔が出るのだそうだ。
 乞食はいない方がいいのだろうが、数万、数十万、数百万人の中には必ず乞食生活の好きな変わり者がいて当然である。世の中のことをあまり型通りに考えて、乞食は政治の貧困の結果、などと考えると、世の中がおもしろくなくなる。
 人間は向上心も要るが、型通りの向上心が人間性を失わせる場合もある。老舗のレストランにはどこにでも中年以上の年のウェイターがいるが、彼らはいつもプロとしての誇りを持ち、のびのびと冗談を言いながら客に親切にし、真顔で店主の悪口を言っているかと見えるとそれも悪戯で、時々少しエッチな話をして心から客と大笑いをしている。
 だからイタリアには痴漢が大変少ないのだという。日本人は「自分自身を満たしていない」から、性的悪戯でもして抑圧された自分の心理の排け口を見つけるほかはなくなる。
 よかろうと悪かろうと、それが彼、或いは彼女の人生なのだ。いささかも人の真似をすることはない。人がいいという評判を立てる道を歩くことはない。
 人道主義者ぶって署名運動をするよりも、ボランティアに行ってただ年寄りにゆっくりと優しく、パンを小さく小さく千切って食べさせる青年になる方がずっと輝いている。総理大臣になったって、世界のニュースの中で無能の何のと言われるのが落ちで、大して楽しい満ち足りた人生でもないことをはっきりと知っている人がたくさんいるからである。
 そういう国で、日本の娘たちは無表情にただブランドものを買い漁る。こういう教育をしたのは誰なのだ。

 



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