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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 孤独?好みで生き死に何が悪い…  
コラム名: 自分の顔相手の顔 306  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/02/01  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   阪神淡路大震災の後の仮設住宅で、二百人を超える高齢者が一人で亡くなっていた、ということが報じられた。それがあたかも、一人で放置されておかれたような報道なので、私は、少し違和感を覚えている。
 もちろん中には、子供も訪ねず、友達もなかった、という人が、病気を訴えることもできず、食料の買い出しも思うままにならずに死んで行ったという例はあるだろうが、私の知る限り関西の婦人団体などは、よくボランティアに行ってあげていたのではないだろうか。
 高齢者だけを統計に取ったら、五年の間には相当な数の人が亡くなるはずである。震災が重なると疲労は重くなるし不安も大きくなるから、死亡率が高くなることもあるだろう。
 それに加えて人の性格もある。たわいなく、何にでも喜んで参加する人もいるだろうが「私は老人ホームヘ行ったって、カラオケだの、演歌の慰問なんかまっぴらですよ。年を取る前から、そういうもの、嫌いだったんですから、年を取って好きにならなきゃいけない道理はありませんからね」と憎らしいことを言う私の知人は、一人や二人ではない。
 人と交わることが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。病院へ入れてもらいたい人もいれば、私の母のように病院にだけは行きたくないと言い張るのもいる。人一人一人が、自分の好みで生きて何が悪いのだろう。孤独死の中にも、その人が選んだ生き方もあったろう、と思う。
 夫の父と母は、私たちの家と軒を連ねた隣の家に住んで、私たちが毎日おかずを届けていた。私はいい嫁などやっていられなかったから、時々遠目に舅姑の姿を見て「あ、今日も無事でよかった」と思うだけで声をかける暇などない日もざらだったことを思いだす。しかしつまり息子も孫も同じ敷地の中にいたし、何より一つ屋根の下で夫婦揃った暮らしだった。
 それでも或る午後、姑はお昼寝の後目覚めなかった。午前十一時頃にトイレをしてお風呂を浴びて、さっぱりして一眠りした。正午が私たちのご飯、午後一時に誰かが舅と姑のご飯を届けるはずであった。私たち夫婦はちょうどヨーロッパに行っており、留守を見てくれていた看護婦さんが眠っているはずの姑を起こそうとすると、既に息がなかった。隣の部屋にいた舅は、少し耳が遠かったこともあるが、その死を全く気づいていなかった。
 こういう死は孤独死なのだろうか。皆がうらやましい、と言ってくれた。姑はその午後、自分が死ぬとも思っていなかったろうし、異変を感じても隣の部屋にいる夫を呼ぶ暇もなかったのだ。
 震災は誰にとってもいいことであるわけはない。しかし老人が一人で死ぬことを、それほど震災と結びつけて特別に悲惨だというような言い方は、老人がみずからの生き方を選んでいたという自由と尊厳を、むしろ損なうような気がする時もある。
 



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