|
「PHO」おじさん ハノイの街を歩くと、「PHO」と「COM」「BIA」の文字がやたらに目につく。いずれも大衆食堂の看板なのだが、このうち「PHO」だけは、そこが何を供する店かは、十数年も前から知っていた。私が年に一回は必ず訪れるワシントンから、ポトマック川の橋を渡った隣の町、バージニア州のロスリンという住宅地に「PHO75」という店があるからだ。 その店は、ベトナム式のラーメン屋である。 牛骨をじっくり煮込んでつくったダシ汁に、牛のスジ肉や軟骨らしきものが、これまたよく煮込み、スライスして、具に使われている。それにほとんどレアのロースの薄切りが、舌がやけどしそうなスープに浮かんでいる。これに香菜、モヤシ、そしてきざんだ青唐がらしを自分で加えてたべるのだ。麺の原料は米の粉だ。 このアメリカのベトナム・ヌードル屋は、超繁忙である。一杯四・九〇ドルで、大盛りは五・五〇ドルだったと記憶している。ワシントン・ポスト紙の「ウマイ店百選」の大衆食堂部門で毎年、特賞に入選している。だから「PHO」の看板は、ラーメン屋であることだけはわかっていた。 だが、PHOがベトナム語では、“フォー”と発音し、麺を意味する普通名詞であることは、ハノイで初めて知ったのだ。あのワシントンの「PHO75」店の意味は、一九七五年のサイゴン陥落の年、米国に移住したベトナム人が、新天地で開いたラーメン屋である??と、ようやく納得がいったのだ。ベトナム人は、家屋とか店舗に竣工した年号をきざむ習慣があると聞いた。 宿泊したハノイのホテルの斜め前にも、PHOの看板があった。ハノイは、現地の人はまず泊まらない合弁ホテルや、外国資本のオフイスビルと、粗末な昔ながらの家が雑居する街である。この店は古ぼけたガレージを利用したもので、店先が簡易調理場だ。石油コンロでスープの釜を沸騰させる。あらかじめボイルしておいたフォーの玉を、ドンブリに注いだスープに入れ、これに牛肉や香菜の具を盛りつけると一丁上がり。午前六時からやっている。おばさんと小学生の娘の二人の店だが、朝から繁盛している。 通勤途上の労働者に交ざって、中学生や小学生のお客がいる。ベトナムは共働きの家庭が多いので、朝食を外でとる人が多いという。朝から子供のお客がいるのにはビックリだったが、定まった店の主人に話をつけて、通学途上の子供に何がしかの現金をもたせるのだという。 ハノイの“ベトナム・ラーメン”は格安である。一杯三千ドン、この国の都会のサラリーマンの月給が七十万ドンだから、現地人にとっても決して高くはない。日本円にすると、たったの三十円、これは円=ドンの為替レートのなせる業なのだが、あまりに安いので、あちらの人々に対してある種のうしろめたささえ感ずる。 ベトナムの食材はおしなべて安い(とくに日本円に換算すると)。露店や市場を回って調べたのだが、牛肉=四百円、豚肉=百五十円、魚=二百五十〜三百円、野菜=二十円(とくにザオ・モツと呼ばれるセリのいため物は絶品である)、コメ=二十五円、トウフ=三十円といったところだ。いずれも一キロのお値段である。ガソリンは一リットル=四十円、ニョクマム(魚醤)一リットル=百円。卵と缶ビールは意外に割高で、それぞれ一個=十円、一缶=七十円だった。 ベトナム料理は、中国料理とタイ料理との混血だとの説があるが、それは表面的観察で、この民族の食文化固有の味がある。 中国料理のように油っこくなく、おしなべて塩味は薄味にできており、必要に応じて魚醤をかけたり、茶色の塩(甲状腺疾病予防のため沃度が入っている)を加える。そのあたりが日本人の舌と食習慣にぴったりとくる。また、辛味は使うがタイ料理のように激辛ではなく、砂糖をほとんど使っていないところがよろしい。特に、バンコクで、ラーメンに大量の砂糖をかけたタイ人を見て肝をつぶした経験をもつ、砂糖嫌いの私にとっては……。 冒頭に紹介した三つの食堂の看板の、あとの二つ、「COM」はコメ、「BIA」はビールだ。今回のハノイ訪問の仕事仲間の一人である東大医学部の教授U氏と、好んで、ベトナム風大衆食堂に出かけた。U氏は、白いアゴヒゲをはやしており、ホー・チミン・元首席にちよっとばかり似ている。この人、「ベトナム麺は世界最高の味ナリ」とかで、毎朝「PHO」屋さんに通いつめていた。そこで「HO」をもじって「PHO」おじさんのニックネームを献上した。 日本人仲間数人と、ベトナム人通訳のチンさんを交えて、「PHO」「COM」「BIA」三点セットのある屋台で地元産のビールと一リットル六十円のカエ・メイ・ゴン(コメで造った密造酒)を汲みかわしたときのこと。このアダ名の由来をおひろめしたら、チンさんが突然、笑い出したのである。HOとPHOのギャグに感心したのではなかった。 「ワッハッハ、U先生。あなた毎日、ガールフレンド食べているのネ」と笑いころげたのである。ベトナムでは、妻をVO、愛人をMOというが、陰語では、妻をCOM、愛人をPHOというのだそうだ。ベトナムでのCOM=PHO戦争は壮烈なもので、妻がハサミをもって愛人を襲撃する図柄が、ハノイの国立美術館に展示されていた。 屋台でハノイの秋の夜長を過ごす。十六夜の月が頭上に。その昔、唐の玄宗皇帝に寵愛され、安南の節度使(ハノイ駐在県知事)に派遣された阿倍仲麻呂の愛でた月と同じ月である。だが、仲麻呂がそのころ、「PHO」を食したかどうか。それは議論百出、結論は出なかった。
|
|
|
|