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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 国を見る?「上流の人脈」を知らない誇り  
コラム名: 自分の顔相手の顔 371  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/09/19  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   ブラジル、ボリビア、ペルー三国の旅の間に、私は何度か、考えさせられる言葉に出会った。
 もっと時間を割いて、中流階級の生活も見たかった、というのが同行者の一つの印象であった。その人は遠慮がちに上流階級も、と言ったのだが、それほど私たちはくる日も来る日も圧倒的な貧困社会と触れていたのである。
 その人は、貧困を見るのに諦きてそう言ったのではない。つまり人生ではしばしば比較で物を考えるほかはないから、貧困を知るためには、中流も上流も見る方がいい。それは全くその通りである。しかし私にはその方法がなかったのである。
 たとえばボリビアでは、知人の神父によれば九十五パーセントが貧困家庭で、五パーセントが上流だという。数は多くはないが駐在している日本人のうち誰一人として上流には属していないというから、彼らは数少ない中流生活者なのだろうが、それは純粋のボリビア人の中流というわけではない。
 私は謝った。
 「すみません、この国には中流がないようですし、私は上流社会に人脈がないんです」
 前回来た時、私は地域の教会の一会員として現大統領夫人と握手した。今私が会いに行けば、夫人は数少ない日本人の知人としてどうやら思い出してくれるかも知れない。
 しかし、その程度の関係は「知り合っている」と言えるものではない。
 私に人脈があるのは、てっていして最下層社会にだけである。でも私にはそれが誇りだ。私もその一人として属するマスコミの社会は、クリントン大統領でもアラファト議長でもプーチン大統領でも、記者としてなら、こうした「超上流」にも会えるチャンスもあるだろう。しかし今度私が入ったような貧しい地域の人と会うのはむずかしい。私が長い年月親しくなり、深い尊敬を持ち続けて来たような神父や修道女たちが、その地域に何十年と住みついて、貧しい人々と暮していなければ、彼らは決して外来者の私を神父たちの友人の一人として受け入れてはくれないだろうし、勝手に入って行ったら恐らく危険があるだろう。
 私にも、日本でなら上流と言われる人にも知人はいる。しかし私はその人たちを個人の頼みごとに利用したことはない。自分の子供の就職を頼んだり、切符を取ってもらったり、車を出してもらったり、誰それさんを紹介して下さい、と紹介状を書いてもらったりする形で使ったことがない。
 しかし私は、こうした貧しい人々の間で暮す神父や修道女を、どれだけ「人脈」として使って来ただろう。彼らは私の知人ではなく、長年の友人であったからだし、そして私が、その仕事を深く尊敬していたからである。そして尊敬すると、私は彼らの存在を人に知らせたくなり、更にもっと多くの人々に、こうした人々の仕事ぶりを見てもらいたくなるのである。
 それで私は言った。
 「ごめんなさいね。中流、上流を見たかったら、あなた独自の手づるで開発して下さい。私にはその人脈がないんです」
 



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