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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 別荘?自分の食い扶持作る畑作業  
コラム名: 自分の顔相手の顔 262  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1999/08/16  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   昔、ロシア人は皆「ダーチャ」と呼ばれる「別荘」を持っていると聞いた時、当時のソ運は社会主義でもずいぶん優雅な生活をしているものだ、と感心した。
 日本人にはとてもそんなことはできない。人里離れたお猿の天国のような土地ならいざ知らず、大都市から二、三時間で行けるところは地価が高くて、都会の「本宅」だってやっとローンで手に入れられるかどうかの日本人は、とうてい「別荘」まで手が回らないのが普通なのである。
 そういう判断をした日本人は、私を初めとしてかなりいるだろう、と思うのだが、今度カムチャッカとサハリンヘ行って見て、初めて少しダーチャの存在を理解するようになった。
 自由市場で私が意外に感じたのは、人参でもタマネギでもたくさん売っているのに、ジャガイモは必ずしも同じ売場に見当たらないことだった。場外の路上で大きなミルクの缶に山盛り一杯いくらで売っているのである。
 同じ日に温泉に行ったグループは、帰り道に飛び込みで一軒のダーチャに寄り、持ち主に大変親切にしてもらったという。
 このグループの推測によると、誰もがダーチャの庭でジャガイモを作っているので、ジャガイモを買う人なんて働くことのできない気の毒な老人くらいのものだろうから、売場の商品の主役にならないのではないかという。
 グループの中に雨男がいたとみえ、カムチャッカ滞在中、毎日雨が降った。市庁舎で雨宿りをしていると、人のよさそうな太った「若い中年男」が話しかけて来た。こんな長雨は異例のことだが困ったことだ、と言う。私はしつこい性格なので、雨が多いとどう困るのですか、床下浸水するとか、地滑りの恐れがあるからですか、と通訳に聞いてもらうと、畑仕事ができないからだと言う。「私は畑好きですが、夫は全く畑作業をしません。ロシア人は皆、畑好きなのですか」と更に聞くと、誰でも子供の時から畑に出ているから農作業には慣れてます、と屈託ない。
 聞いてみると彼は独身の整形外科医で、日本女性と結婚したいと思っている、という。通訳の女性は二十代のお嬢さんもいる人妻なのだが、すらりとした日本人形みたいな人だから、多分彼は下心があって近づいて来たに違いない、というのが小説家的私の邪推である。しかし独身の外科医が一人、雨のダーチャで畑仕事をしているというのだ。これは何を物語るのだろうか。
 「別荘、なんて訳するから日本人は誤解するんですよ。とにかく土地だけは無限と言っていいほど広い国ですからね。そこで国家はとてもお前たちの面倒は見切れない。自分の食い扶持は自分で何とかしなさい、というのが、ダーチャの『自発的強制労働』システムですよ」と解説する人に後で会った。国民に必要な物資の確保と流通は、政府の責任でするのが当然だ、と考える日本人には、とうていロシア人のたくましさはわからない。
 



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