共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 豊かさの発見法  
コラム名: 昼寝するお化け 第117回  
出版物名: 週刊ポスト  
出版社名: 小学館  
発行日: 1996/10/25  
※この記事は、著者と小学館の許諾を得て転載したものです。
小学館に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど小学館の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   九月末に、ワシントンで世界飢餓会議に出席した。私が今勤めている日本財団が、アメリカのカーター財団と提携してアフリカで「笹川グローバル2000」というプロジェクトをやっているが、それが大きな成果を挙げている。それを更に続け、発展させるために、アフリカ諸国からは多数の大臣たちが集まった。
  このブロジェクトは、換金作物を作るのを止めさせ、自力で食べられるようなトウモロコシ、小麦、ひえ、あわ、豆、キャッサバなどを栽培させるものである。今まで、外部からの資金が入った時に見られるような浮ついた大型耕作機械を堂々と揃えるなどという見場のいいことも一切やめて、牛にくびきをつけて耕させるようにした。他の農家にこの牛を貸せば、レンタル牛で稼ぐこともできるのである。
 高蛋白トウモロコシというものも登場した。普通のトウモロコシだったら、それで煮たお粥を幼児に与え続けると栄養失調に陥るが、高蛋白トウモロコシなら、その点もカバーできるという。
 私は飢餓の年にエチオピアに行き、正直なところ、あの土地に人間が住むのは大変だ、という素人の印象を持った。何しろ谷が深くて、隣の台地まで行くのも大変だ。私はラバに乗って、谷を上り下りしたが、出発の時に軽くラバに胸を蹴られたこともあって、それだけの行程ですっかり消耗してしまった。高度も少し高かったから、慣れない私は軽い高山病にかかっていたのかもしれない。
 しかしそのエチオピアが、今年あたりから食料の輸出国に転じたというのである。私は今までにも「自分の予測は当たらない」という信念(?)を持っていたが、エチオピアの食料事情でもまた、いかに自分の予測が狂うかを見せつけられた思いであった。
 会議の後、私は同じワシントン内にあるガローデット大学に立ち寄った。
 この大学は一八六四年の創立で、世界でたった一つの聾唖者のための大学である。日本財団は、今までに二百万ドルの奨学基金を設立し、その運用益で年間十五人から二十人程度の留学生の奨学資金を出して来ることができた。
 現在、ガローデット大学で学ぶ学生は約二千四百人程度だが、そのうちの約一割が留学生である。教室を見ると、まさに国際的である。十人ほどのクラスを見学したが、その学生がほとんど違う国から来ている。日本人の学生もけっこういる。もちろんここでは英語の手話で授業が行われるので、日本人学生は、日本語手話と英語手話とのバイリンガルである。
 留学生の多くは、アメリカや日本より貧しい国から来ている。途中で授業料が続かなくなって帰国を覚悟する学生も出て来る。その時、日本財団の奨学資金で勉強が続けられることが多い。
 私が何より印象深かったのは、そこで手話というものの概念が一変したことである。
 正直なところ、私は日本では手話というものは、何と遅いものなのだろう、と思っていた。テレビのニュースや番組の内容を伝える手話も、とうてい普通の会話のテンポではない。まるで子供に話す時のように、ゆっくりゆっくりである。あれでは普通の感情の流れで会話ができないと考えていた。
 ところが、ガローデット大学内での会話は全く違う。大学の構内にいる職員はすべて手話ができるからだが、中途で聴力を失ったジョーダン学長共々、どの人もすさまじい速さで話す。一人の人の手話を通訳する英語の速度は、私たち外国人には聞き取るのが辛いほどの速さである。これなら、普通の肉声と同じに、笑いも皮肉も愛もイジワルも、すべて澱みなく伝わるだろう。
 ここでは、我々のように耳に頼るより手話の方が便利だということを示すちょっとした誇示がいたるところで示される。例えば、中庭の向こうにいる人などとは、普通我々は人迷惑になるほどの大声で怒鳴らなければならないが、ここでは音なしの構えの手話で全く人の邪魔にならずに意思を伝達できる。
 おもしろかったのは、手話でのクラスの最中に、私たちは音声による説明を受けたのだが、これが全くクラスの妨げにならない。
 まだ私が娘時代にヘレン・ケラー女史が日本に来て、ちょっとした大騒ぎだった。どうして眼も耳も機能のない人が、そんな偉い学者になれたんだろう、と勉強嫌いの私はため息が出る思いであった。
 しかしここでは盲目で耳の聞こえない学生など、さして珍しくない。触れ合う手が、例のすさまじい速度の意思の伝達をするから、少し人手がかかるだけで、どうということはないのである。
 ここで学んだあらゆる国の学生は、国に帰って、聾唖者の生活を常人と同じように導くための指導者になってくれる。

 笑い出しそうになった新聞の見出し
 アメリカからの帰り、私はハイチに立ち寄った。ここには、日本人の修道女のシスター・本郷幸子という方が内陸部のエンシュという町にいて、学校で学ぶお金を出してくれる保護者のない子供たちのために、識字教育をしている。日本財団に来る以前に、私が自分でやっていた海外邦人宣教者活動援助後援会という援助組織が、シスター・本郷にもお金を出していたので、私は私費でこうした「査察」に歩いているのである。
 首都から僅か百三十キロしか離れていないエンシュという町へ行くまでに、四駆の車で約六時間。すさまじい悪路で時速二十キロちょっとしか出ない。マラソンの世界的な選手の走りとそれほど違わないことになる。
 シスターたちの修道会は夜十二時までは電気があるが、その後は停電するから、私たちはランプを一つずつ与えられた。私はこの扱いが下手で、ホヤで火傷をしたり、消す時にすさまじい煤を出したりしてしまう。修道院という所はどこも家庭的にきれいに経営されているが、それでもシャワーだけの浴室にお湯はでない。
 シスターの子供たちのいるスラムは、土の家に、電気もなく、水道もなく、トイレもない。彼らは職もなく、病気になっても医者にかかることのできない子供がいくらでもいる。赤ん坊は栄養失調で、十カ月だというのに生まれたてくらいの大きさしかない。
 日本に帰ってきたら、新聞に「どうしたら豊かさを感じられるか」という意味の見出しが見えて笑い出しそうになった。
 簡単なことだ。そういう不幸な人は、中南米のスラムかアフリカの奥地に送ればいい。そうすれば、すさまじい悪路と埃と、水道と電気がない生活を体験するから、その日のうちに日本の豊かさを実感できるようになる。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation