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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 重負荷?人も物も余力なければ魅力なし  
コラム名: 自分の顔相手の顔 74  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/08/19  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   日本人はいつのまにか平穏な生活に慣れて、艱難辛苦に耐える力はますますなくなってしまったが、人間だけでなく最近の日本製品の中にも、全くひよわなものが多くなった。
 偶然、今年私は、何度か高度のある土地へ行く機会があった。まずペルーでは軍用のヘリでアンデスの奥の村へ行ったので、あっという間に高度五千メートルまで上がったのだが、機内は空調がないので、少し息苦しくなった。
 夏には中国の貧困地帯の調査をした。四川省では三千四百三十メートルの峠を越えた。私はずっとノートを取っていたのだが、ペルーの場合も中国の場合も有名な日本のメーカーが作った水性のボールペンはいっせいにインク漏れが始まった。手が青くなっただけで服を汚さなかったのは、私が素早くティッシューを巻き付けながら使ったからである。
 中国にもペルーにもボールペンは売りません、というつもりかもしれないが、日本でこれらのボールペンを買った人たちが、気楽に国産のペンを持ってそれらの土地に旅行するような時代である。
 年に一度ずつ、私は盲人や車椅子の方たちとイタリアやイスラエルへ行く。来年はエジプトでシナイ半島へ行くのだが、そうなると、必ず日本製の車椅子の故障が始まるだろう、と思う。
 日本製の車椅子は、自宅内かコンクリートで舗装された道だけを移動することを想定している。そして事実、今まで障害者は周囲の保守的なものの考え方に包まれていて、家の中でただ手厚く見取られていればいいというふうに思われていたのかもしれない。
 しかし私たちの旅行では、イスラエルの南部砂漠でベドウィン(放牧民)のテントに野営もするのである。すると、当然、障害者の車椅子も短距離だが夜トイレに行く時など、舗装とは無縁の砂地を行くことになる。そういう時、障害者が夜間にトイレに行くことを心理的に少しも遠慮しなくて済むように、私たちは夜通し不寝番を作って、焚き火の傍でいつでもトイレ介助ができるように交替で待機するシステムを作っている。
 これがまた実に楽しい。今どきはインディアンの襲撃に備えるということもないから、不寝番などする機会が一生に一度もなかった人たちが、これこそ男の出番(実は女性もやるのだが)という気分を味わう。
 そういう砂漠に耐える車椅子などは全く考慮されていない。車椅子だけではない。人生では余力を残すということが必要である。
 英語で言うヘビィ・デューティーという言葉は重負荷とでも訳するのだろうか。とにかく強い外部の力に耐える能力を残しておく、という思想は大切だが、その配慮は一般に放置されている。もちろん単価を安くするためにはそうするほかはないのだが、埃のない、平坦な、自然の影響を受けない所でしか耐えられないという性質と能力では、人も物も実にうすっぺらで魅力がないのである。
 



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