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日本財団で働くようになってから、私の仕事の一つは日本全国で二十四ある競艇場に挨拶に行くことであった。 日本財団は直接にはモーターボート競走を経営しているわけではない。しかしその売上げの三・三パーセントを受けて、それを海に関する保安や研究費、日本国内のボランティア活動支援、老人ホームや障害者施設の建設や援助、ハンセン病の撲滅、チェルノブイリの子供たちの健康診断、中国からの医学生の留学費用、国内の文化芸術活動の助成などに使っている。こういう活動ができるのも競艇場のおかげだから、心の繋がりは必要なのである。 私が日本財団で働くことになると、私は早速「クリスチャンとして、ソノさんは賭事をどう思いますか」という質問を受けた。それはもう予測されたことだったので少しもとまどいはなかった。 私は賭事はお酒と同じと考えていた。度を超すと悲劇になる。適度だと笑いになる。 それに、私は何でもほどほどということが好きだった。いいことも悪いこともほどほどにやっている人というのは、人間的な楽しさがある。別に、トマス・アクイナスの「すべて存在するものは良きものである」という、私のこの上なく好きなカトリック的思想を持ち出さなくても、ほどほどなら何でも楽しく済ませられる。 私は競艇場に行く度に舟券を買うことになった。もともと性格がけちなので、買う額もまことに健全、つまり僅かなもので、一レース三干円ずつと決めていた。三千円という額にも意味があった。私はこれで日本財団に九十九円寄付したことになるのである。これで毎週開かれる常任理事会の安コーヒー代くらいは出るだろう。 もっともモーターボートの施行者側に言わせれば、「それっぽっちでなく、もっと買ってくださいよ」ということにはなるだろうけれど、なあに、人の手に乗ることはない。それに信じない人もいるのだが、私は全く無給で日本財団で働いているのだから、この上、競艇場で大散財などしたくないのである。 私は競艇場に行く度に記者たちと会うことになった。日本財団が最近どういうことをしているか、という近況報告をするのである。その後で向こうからの質問も受ける。 その前後に、私は場内を見学して、選手や舟券売場て働く生き生きした女性たちとちょっとお喋りをすることもあった。それからお祝儀もかねて舟券を買う。 私は舟券を買う上で有利な立場にあった、はずであった。何しろ競艇に詳しい記者たちばかりなのである。彼らは皆私に親切であった。誰それさんは若くはないけれど、風に強い選手だから、今度のレースは1?6を買うといいですよ、というふうに、年季の入った教え方をしてくれる。 私はスマトラの田舎闘鶏では、百発百中に近い率で勝ち鶏を当てたし、マダガスカルのカジノのルーレットでは、当たったらその国で働く日本人のシスターにあげる、と心の中で神さまに約束したばかりに、二度連続して当たってしまった。爾来、私の神さまはカジノにもいらっしゃる、と信じている。 しかし日本の競艇場では、どんな優秀な先生やコンサルタントがついても当たらないままだった。日本財団の職員と同じ名前の選手が出たから、その人を買ってみたがそれでもダメである。 「ソノアヤコさんかね。この帽子にサインしてくれや」 というおじさんがいたので、すかさず、「この次は何がいいですか」と小声で聞いたら「2?4がいいよ」と教えてくれたのでその通りに買ったのだが、これもはずれである。 或る競艇場では、「この次のレースはこれです」と自信を持って教えてくれる人の威厳に打たれて迷うことなくその通りに買ったのだが、それもはずれであった。しかしあの見識は見事だった、どういう方だろう、と恩いながら記者懇談会に出たら「競艇評論家」という名札が出ていた。玄人はまた知り過ぎているから当たらないのである。
「人生すべて中穴狙い」 場内には、予想屋さんという人が何人もギリシャの神託をする巫女みたいに台の上にいる。中には「中穴狙い」専門の予想屋さんという人もいて、私はさっそくエッセイの題を思いついた。「人生すべて中穴狙い」というのである。 あまり当たらないので、私は是非とも予想屋さんに聞いてみたいと思っていたのだが、戸田の競艇場ではついに「予想屋の組合長さん」という人に紹介してもらえた。くれた紙には「シャープな眼 祐ちゃん」と書いてある。 この人の予想は、第一週目までは確かに当たっていたのだが、トップがコーナーで転覆してしまったのだから仕方がない。選手は無事に救い上げられてほっとした。 これで十四レース連続して負けである。かねがね、 「珍しい才能ですなあ。それだけ連続して当てないというのはなかなか技術が要るもんです」 と財団の中では言われていた。モーターポートがそんなに当たらないものだということが世間に知られるとまずいと心配する人と、それだけ八百長がない証拠です、という私のような考え方が対立していたのである。 「もうこうなったら花合わせのフケの手です。カスを十六枚集めます。二十四競艇場歩いて、全部当たらない記録を作って見せます」 私は居直っていた。私は幼稚園の時から花札を親に教えられたのであった。 戸田では次のレースにはもう相談する人もひまもなかった。私は新聞を見ながら、いい加減に三千円分の舟券を買った。それで当たったのである。 初めて配当金をもらう時、顔馴染みのベテラン記者が、 「いくらになりました?」 と脇から小声で聞いた。 「六千二百円です。今日は三千円ずつ二レース買いましたから…二百円の儲けです」 相手はおかしそうな顔をした。 「予想屋さんに払ったでしょう」 「あ、そうだ。二百円、払いました」 つまり差引ゼロである。この計算の妙味は、神さまが競艇場にもいらして、儲けを考えずに楽しめ、ということかとさえ考えたくなるほどであった。それにしても花札のフケの手が十六枚ということの意味もよくわかった。私は十五回目に当たってしまってフケることもできなくなった。勝負師の世界も甘くないのである。 しかし今後も私は、当たろうが当たらなかろうが、周囲の優しいベテランたちのアドバイス通りに舟券を買うつもりだ。その方が、人生楽しい。
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