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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: パリ雑記(下) パリに暮らすことの意味  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1999/06/15  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「ビストロ」と「レストラン」
 過去四半世紀の間に、フランスはパリも含めて十回ほど訪れたことがあるのだが、いまひとつ好きになれない。何が、どうして、どうだからこの国が好きになれないのか??と問われてもいまだにはっきりした答えが出て来ない。要するに何度来ても“よくわからん”から、虫が好かないのだろう。
 パリ在住三十一年の近藤忠彦氏に、初対面ではあったが、思い切ってそう切り出してみたのである。以下は近藤さんとのパリ問答である。近藤さんは旅行会社を経営するかたわら、NHKの「ラジオ深夜便」の海外レポート、フランス編の定時番組をもっている。パリ在住の最も古株の文化人である。
「パリのいやな話を聞きたい」と電話したら、とある酒落たレストランで待っていてくれた。型通りの名刺交換ののち「いいレストランですね」といったら、「この店は昔はRESTAURANTでしたが、今はBISTROです」と彼。<だから俺はパリが苦手なんだ>そう思いつつ、「レストランとビストロの定義いかん?」と、早速、問答にとりかかった。
「いや、そんな大ゲサな議論いやなんですけどね」と苦笑しつつ、話してくれた。彼の定義によると、テーブルクロスとナプキンが布製で、ワインが高いのがレストラン。ビストロは紙で、安いワインだが、料理はさほど変わらない。双方ともに入り口にバーがあるが、ビストロはワインだけ飲んで帰ってもよいのだという。
「三つ星の高級レストランのシェフが、ビストロを出し、百五十〜二百フランのメニューをセットする。そういう店が今、パリでは流行っている」と近藤さん。一フランは二十円弱だ。円で換算すると実感がわく。これが、レストランだと、前菜が百五十〜二百フラン、メーンが二百五十フラン、チーズにデザートがそれぞれ五十フラン、コーヒー二十五フラン。これにワインがつくと千フラン近い出費になる。そういう類のお店の客層は、「一に日本の社用族、二にアメリカ人のビジネス用、三に日本の観光客、四にフランス人の接待用」とのことだ。
「奇妙な話ですけどね、三つ星レストランに一番詳しいのは、パリ在住の日本人ビジネスマンだったのです」と近藤さん。「だったのです」。過去形であるところが意味深長だ。「秋風が吹くと桶屋が云々」ではないが、日本のバブルはじけ、パリのレストラン、ビストロに変身す。それがこの店だった。
「パリで食事に、一人百五十フラン以上かける人はあまりいません。フランス人はケチなんです」と。花のパリの台所は実はせち辛い。「そういえば、パリ郊外のEURO DISNEY。あれもはやっていませんね。どうしてでしょう。フランス人は、世界に向かって仏文化をひたすら愛せといわんばかりのキャンペーンをやる。そのくせ、他文化、とりわけアメリカの大衆文化など一顧だにしない。ディズニーランドに閑古鳥が鳴くのはそのせいですか。それとも、フランス人のケチがたたって……」と私。
 
ディズニーもびっくりケチなパリ人
 近藤さんは断固、ケチ説である。「ディズニーをフランスにもってきたのは、アメリカではなく、フランスそれ自身です。しかもスペインとの壮烈な誘致合戦の末にです。スペインをけしかけてバルセロナに一時のお祭りにすぎないオリンピックをもっていかせ、それと引き換えに恒久的なディズニーを獲得した。そこまでは、したたかなフランス商業外交の勝ちだった。負けたのはアメリカ文化ではなく、アメリカの経営学だったと近藤さんはいう。最初の価格設定は入場料が大人三百五十フラン、小人二百五十フラン。これに食事代も含めると夫婦子供二人で、二千フランが飛んでいってしまう。パリの普通のサラリーマンの月収が手取りで一万〜二万五千フラン。収入の一〇%以上をDISNEYの一日の遊びに注ぎ込むのは、パリ人のケチ哲学では罪悪に等しい。パリのオペラ座地下駅から急行を走らせ宣伝にこれ努めたが、倒産寸前に追い込まれた。「仏人を社長にして、入場料を百五十フランに引き下げ、ディズニーの禁を破って安ワインも売るようにしたら、一年で盛り返し、今は黒字です」と彼。「旅行者にとっては、“花のパリ”に映るでしょうが、そこに住む人々にとっては、決してラクな生活の場所ではない」ともいう。ディズニーの金取り主義が丸ごと大成功する東京と一筋縄ではいかないパリ。それはケチなパリ人と、宵越しの金は持たぬ江戸人の生活文化の相違によるものなのか。そう納得しかかったのだが、ひとつの疑問が、心に浮かんだのである。
「ケチなはずのパリ人が、夏休み一カ月もバカンスをとり、パリがガラ空きになるのはなぜなのか」だ。近藤さんの答えは意外だった。日本のフランス論の定番である「パリ人は心の余裕があり一カ月もバカンスを楽しむ。それにひきかえ日本人は働き蜂で……」という解釈を根本から覆すものだった。
 近藤説によると、それはフランスの建前平等、実態はエリート主義で不平等な社会構造によるものだという。「パリの九月。官僚や大企業幹部、弁護士、会計士などのエリート層は、日焼けもせずに真っ白な顔をしている。家族を田舎に送って夏休み抜きでパリに残って仕事をする。そういう上位二%のエリート層は働けば働くほど出世し、収入も増える。それにひきかえ、大学院出というパリパリの学歴のない並のパリ人は、いくらがんばっても出世できない。どうせやってもダメなら自分の権利だけ主張し、バッチリ休む。彼らのバカンスは、人間の豊かさを求める行為ではなく単なる居直りだ」と近藤さん。
 
フランス人も「アリ」である
 八月の終わり。東西の分かれ道がパリに向かって一本になるアビニオン南の合流点。バカンス帰りの車の行列は壮観だという。東のイタリア、スイス、モナコ方面からは優雅なエリートたちの家族。物価の安い西のスペイン方面からは、一カ月分の収入(並のパリ人の平均バカンス予算)で、いかに長く観光地で過ごすかで四苦八苦し、疲れ果てたお父さんたち??。その表情は天国と地獄ほどの違いがあるとのことだ。
 ミッテラン・前大統領のお気に入りで首相に抜擢された、クレソン女史は「日本人はアリだ」といった。自分たちはアリではなく人間だというのか? いくら働いても、「アリはアリ」。やっても、やらなくても幹部にはなれないので、居直るフランスの働きアリ。そこが、平等社会日本と違うところだ。
 そういう人々が社会の大宗を占めている国が、人間性が豊かだといえるのかどうか。だからこの国では人民は時々アナーキーになる。フランス人の運転は、アナーキーがハンドルを握っているのでは……。パリで道路を横断するには決死の覚悟が必要。交通規制に限らずほっておくとアナーキーになるパリ人を抑えるために、政府は警察官を威張らせておく。
「ケチ」「不平等社会」「人民の居直り」「時によってアナーキー」「強力な官僚と、強権をもつ警察」。「これが現代パリの五つの特徴」といったら、「エエ。フランスの警官は頑固で、暴力的でうぬぼれていて、堕落していると庶民は思っている。だからできるだけ接触しないように心がけている。これがパリ人の生活の知恵です。公権力を一手に握るエリートは、民衆は甘い顔をするとつけ上がると考えており、意図的に小さな権力を非エリートである警官一人ひとりにもたせている。パリの警察官は絶対に民衆に笑顔を見せない」と。
「そのかわり」と近藤さんは続ける。「パリの消防士は、最も人気のある職種です。世界一色男で、愛想がいい。彼らは、人命の尊重と人民に対する親切心をたたき込まれている。権力の行使は、初めから教えられていない」というのだ。この使い分け。この国の支配階級は、なんとしたたかで食えない人間の集団であることか。
 パリで暮らすことの意味。それは華やかな外面とは対称的に、厳しく、住みにくく、時には疲れるものらしい。セ・ラ・ヴィ(それが人生だ)と言ってしまえば、それまでだが、近藤さんは、そうは言わなかった。
「パリにいささか疲れました。ドゴール時代の仏人は明るかった。自信にあふれていた。他民族を包み込むだけの度量があった。でも今のパリは何か違う。フランス語でものを考えるとなぜか疲れを感ずる。三十一年もパリに暮らしているのに。やっぱり東京が懐かしい」と。
 



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