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二年前に、私が二十五年以上働いて来た海外邦人宣教者活動援助後援会の活動に対して、読売新聞が「国際協力賞」をくださった。 副賞の五百万円はすぐ後援会の通帳に全額入れた。さらに読売新聞は、他に記念品として六十万円程度のものを用意しているのだが、何がいいでしょうと聞いてくださった。たとえば文箱とかパソコンとか、と言われて、私たち運営委員は皆少し恥ずかしかった。文箱を使うような優雅な趣味の人は一人もいない。文箱よりビスケットのカンカラの方が丈夫で長持ちする。パソコンは誰も使えない。宛て名のラベルは、ボランティアの人が既に作ってくれたから、今さらパソコンをどう使うかもよくわからない。 私がほしいと思っていたものは葉書だった。封書では高くつくので、寄付を頂いた時に出す受け取りは葉書にしている。受け取りは毎月ニュースレターのようになっており、私が月毎に書き換え、サインしてお出しする。寄付金の中から必要経費は一切差し引かず、通信費、交通費、会合費、皆自分もちで、お金は全額援助に廻すやり方だから葉書の出費はちょっとした額になる。 読売新聞は、ほんとうは後に残るものを下さりたかったらしいのだが、優しく折れて葉書がずっしりと入った箱を二箱もくださった。しめしめ、これで二、三年分の受け取りは買わずに済む、と私は賞金の他に大儲けした気分だった。 ところが葉書の減り方の予想は全く狂った。寄付が減ったのではない。いろいろな方たちが使わない葉書まで寄付してくださるようになったので、副賞の葉書の減り方がうんと遅くなったのだ。 聖書の中に有名な「パンのふやし」というくだりがある。イエスがガリラヤ湖畔の寂しい場所で宣教をしていると、夕食時になった。イエスが五千人も集まった群衆にたった五個のパンと二匹の魚を渡されると、人々はそれを食べて満足しただけでなく、パン屑の残りは十二の籠にいっぱいになるほどあった、という話である。 これを奇跡と解釈するのが普通なのだが、神学者の中には、実は人々は密かに食物を各自で持って来ていたのだが、イエスがまず、ご自分の食物を与えられたので、我も我もと出して隣の人とも分け合い、それで屑だけでもこんなに出た、と解説する人もいる。信仰心の薄い私など、この方が理解し易い。 読売新聞から贈られた葉書があまり減らないのをみる度に、私はこの聖書の個所を思い出す。皆が他人はどうあろうと、ささやかな善意を出し合えば、それは世界を覆うのかも知れない。しかし人はまず自分が持っているパンと魚を出すことがなかなかできないのだ。それに隣に嫌な奴がいたら、そいつにはパンの尻尾だってやりたくない、と思うのである。 読売新聞は、副賞としてはずっと後々まで残る記念の品が望ましい、とおっしゃった。その希望がこんなに人間的な暖かさと、劇的な結末とで、こうして叶えられているのである。いかなる記念品よりこの事実と記憶は輝いて残っている、と私は思うのだが……。
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