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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 自分の「顔」について、私は、余りに知らない  
コラム名: [インタビュー特集]人生と顔をめぐる考察   
出版物名: FRAU  
出版社名: 講談社  
発行日: 1998/06/09  
※この記事は、著者と講談社の許諾を得て転載したものです。
講談社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど講談社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  今、尊敬される女こそが美しい。才能溢れるベストセラー作家として
また社会活動家として数々の賞に輝き
確固たる自我と、何物にも捉われない自由な思考、
そして強い意志の持ち主。
まさに尊敬される女、曽野綾子さんと今を生きる女の在り方を考える??



あなたの顔は美しいだろうか?鏡を覗いても答えは出ない。他人が見るのは、鏡に映らないあなたの泣き顔、笑い顔、蔑む顔、憐れむ顔。そこに現れるのは、生き様・知性・意志の力・思いやり??。メイクでは誤魔化せない本当の美しさを手に入れた人々の生き様を知る。
取材・文/小牧美木




 性悪説は、決して人が考えるほど、陰険で、
悪いものではない。
(『二十一世紀への手紙』)

性悪説
「私は性悪説ですから、わりと自由で自然でいられるんです。もちろん性悪説の第一は、まず自分が性悪だということ。私は大きな嘘をついたり、人を殺したりはしないかも知れませんけれども、交通事故を起こすかも知れませんし、ちょっとしたことで人を傷つけてもいますでしょう、あるいは人が邪魔だと思われるところに立っていたりもする。そんなことは承知の上で、生きている以上は仕方がない。人生は悪と矛盾に満ちて混沌としているんです。
 宗教でいえば、少なくともキリスト教は性善説ではありません。人間は間違えるものであって、場合によってはどんなひどいことでもしてしまう。それを神の教えや愛の理念によって、もっと上等な人間になれるのだという希望を持った上での“性悪説”なんですね。人はみんないい人だ、という性善説は、すぐに行き詰まりますよ。
 性悪説というのは最初がゼロですから、ちょっとでもいい人にお会いするとプラスの方に動くんです。もちろん疑いが杞憂で終わることも多くて、逆にあの人はあんなことを教えてくださったとか、放っておかれても当たり前なのにこんなことをしてくださったという感謝のみ、どんどん出てくるんです。それはみんなプラスなんですね」


受け身文化
「でも今の日本では総じて社会がこうすべき、国家がしてくれるべきだという考え方だから、してもらえないと全部マイナス説になるんですね。百点満点を基準にして望むから、つねに減点法で不満だらけになる。これじゃ損じゃありませんか。学校が教えてくれないからこうなる、と思うのはとんでもなくて、初めから学校は何も教えてくれないところだと思えばいい。親がやればいい。ものを片づけるのも敬語の使い方を教えるのも、全部、親の仕事だと思えばいいんです。
 たとえば少し前にO?157が流行った時、お弁当持参に真っ先に反対したのは母親たちでした。給食が本当に危ないと思うなら、お弁当くらい自分で作ればいい。まあウチの子は胃腸が丈夫だから毎日梅干し1個持たせておけば給食でいいわ、という方針ならそれでもいい(笑)。でも危ないと思うなら、学校が給食にするといっても、文部省がなんといおうとも、ウチだけは弁当持たせるくらいの抵抗をしていい。それをしないで悪口だけは一人前。それがよくわからないんです」


四つの要素
『運命や絶望を見据えないと、希望というものの本質も輝きもわからないのである。現代人が満ち足りていながら、生気を失い、弱々しくなっているのは、多分、絶望や不幸の認識と勉強が徹底的に足りないからだろう』(産経新聞 連載コラム「自分の顔相手の顔」)
「私が今日のような生き方に至ったのには、四つの要素があります。まずひとつは自分の育った家庭が不幸だったということ。私は父親がワンマンで不仲な夫婦の間の子として育ちましたから、私が家庭内暴力を知っているというと驚かれますが、私にとっては大変いい反面教師でした。
 第二に私自身が信仰を持っていたというよりは、信仰のある人たちを見て育ったということ。一生を捧げて日本にやってきた宣教師や修道女の生活をつぶさに見た。物質的には豊かでない、どんなにみじめな生活であろうとも、精神的にしたいことを一生をかけてやり遂げるという人たちです。
 三番目はずいぶん遅まきでしたが、40歳から聖書を勉強したこと。
 四番目は戦争というものを知ったこと。そこから現代に至る世界中の部族抗争やアフリカの貧困というものを見るようになったこと。私には子供の時、明日まで生き延びられるだろうかと思った戦争の生活体験があって、砲弾恐怖症や閉所恐怖症になったりもしましたが、戦争というものが人間の偉大な一面を教えてくれたと思っています。この四つがあったから、私はものすごく豊かなんです。
 だからといって家庭が不幸な方がいいということは絶対にありませんし、ましてや戦争ほど合わないものはない。信仰にしても、決して全員が修道女のようになって生きるのがいいのでもなくて、世俗の只中で生きるのも一つの生き方です。とにかくいろんな形で、私は幸運にも、強烈で濃厚な人生を味わった。それはありがたいことでした」


読書
『私たちが本当の自由を手にするのは、実にむずかしい。それには、一人だけ否といえる勇気、社会の嘘を見ぬくだけの勉強、虚栄心からの解放などが必要である』
(『私を変えた聖書の言葉』)

「誰がなんといおうといけないものはいけない、いいものはいい。そういう一人一人の信念がないんですね。その信念は宗教から来ますし、読書からもくる。今の若い方方は読書をなさらないでしょう、ほとんど。だから信仰もないし、哲学もなくなった。哲学でなくても、数学や物理、歴史からひとつの思想をとる人もいる。そういう勉強をしない。勉強というのは、学校だけですると思われがちですが、とんでもないんですね。勉強というのは雑学を独学ですることなんです。
 なんのためになるかわからないけれど、人生をたくさん見ること。漫画は否定しませんが、それだけでは駄目で“広範にわたる読書”なんです。それしかない。だから人が何かを言っても、私は違うわと言えなくなってしまう。そういうことだと思うんです」


海外旅行
「危険がない旅はまあ、あまりおもしろくないとこがありますね。安全も大事ですけど、少し冒険をしないと手に入らないものもあります。セキリ、チフス、マラリアが始終あるような土地で、電気もないところで、私は人間が生きるとは何かを教わったんです。ただ火だけはどこでも起こせる。ですから私はどこでも自分で煮たきをしました。結構いいものを便利に食べたんですよ」
 曽野さんは取材だけでなく、26年前からアフリカや南米などの国に食料や衣料を送る援助活動を通して、貧困にあえぐ人々に直接接してきた。目の不自由な人たちのための聖地巡礼の旅も今年で15年目。重い荷物も自分で持ち、若い人と交替で自動車も運転すれば、同行者全員分の食事も手早く作ってしまう。女だからとか年上だからという特別扱いは一切ない旅である。
「私は旅に出ると根底から変わって帰ってくる。特にアフリカは私の物の考え方の原点になっています。昨日も虫歯の治療に行って、麻酔の注射を打ってもらって痛くもなく、仮歯なのに噛み具合のいいように慎重に削ってもらいました。治療が終わって立ち上がるなり私は先生に、こんなふうに歯を治していただけるなんて、この地球上で生なかな幸福ではございません、とお礼を申し上げたら、笑っていらしたけど、私はいつまでもアフリカを基準にものを考える癖が抜けない(笑)。美味しいものはこういうものを一生に一度も食べたことがないだろうと思うと、申し訳ないような気持ちになりますね」


男女同権
「とにかくたくさんの方が、未開の地に行くのを好きじゃないのね。男の人でもこの頃は嫌いな人が多いのでがっかりします。女の人はよく『怖くない?』と言うんですが、この言葉は嫌いですね。男の人というのは、仕事とあればたいていどんなに危険なところにも行くんです。女性が『怖いからやめるわ』と言っている間は、男女同権にはならないんですね。もちろん私も事故が起きないように小心にやります。それでもいつかは起きるかも知れません。けれども、この世の中には代価を払わずに得られるものはひとつもないんです」


平和
『今の日本人の平和論は、自分が死ななくて済むという予測のもとに言われている平和論です。しかし、砂漠では、平和はもっと激しく厳しいことが、たった数日の旅で分かるようになります。それは一杯の水を誰が飲むかという事なのです。私が飲むか、あなたが飲むかなのです。私が飲めば、私は生き、その分の一杯の水にありつけなかった人は死ぬかもしれません。それは決して象徴的な意味ではないのです。事実、そういう場合もありましょうし、それらの土地の人々は、今でもそのような厳しい生活の実感を、体で覚えこんでいます』(『この悲しみの世に』)

「私の頭の中には常にアフリカが源泉としてあって、人間がガスも水道も電気もないところに住むという状況がありありと見える。だから私は蛇口をひねれば水があふれるように出て、しかも飲める水のあるところにどうして幸運にもいられるのか、その飲み水で身体を洗うという賛沢をなぜしていられるのかと考えてしまうんです。いわば、葡萄酒のお風呂に入っているようなものでしょう。
 だからもし自然保護をおっしゃりたいなら、ボルネオの原生林に3ヵ月、いえ1ヵ月でもいいから住んでみてくださいと言いたいんです。森は人間の生活を侵食し、恐ろしい病気を蔓延させる面もあるんです。その原点を知らないで、地球に優しいとか木を切るなとかいい加減なことを言う。ほんとのことを言うと地球に優しくしたいなら、まず自分の存在をやめなければならないかも知れないんですね。CO2出すし、汚物は出すし。人が生きていること自体、地球には優しくないんですから。せいぜいお詫びをしながら、この世に生かさせていただいてどの程度のことができるかなんですね。ですからベストというのはなくて、いつもベターしかない」



流行を支えるものは、何よりも、私たちの愚かさと
個性の弱さから発する
(『ほんとうの話』)


流行
『流行を追うということは、精神か肉体の命とりになることさえある。そして流行を支えるものは、何よりも、私たちの愚かさと個性の弱さから発するのである』
(『ほんとうの話』)

「どっちかに決めたらどうかなと思うんです。目立ちたくないなら、徹底して流行を追うことですね、埋没できるように。スリをしようとか強盗に入ろうというときにはできるだけ大勢の人にまぎれた方がいい(笑)。けれども自分だけは目立ちたいとか、男の人に君は面白いことをいうね、と言われたいなら、みんなとはなるべく違う服装をして、まったく違う意見を持てるようにする。そのどっちかしかない。目立ちたくなくて、それでいて注目されたいというのは無理なんですよ」


損得
 曽野さんは'95年に日本財団の会長に就任。現在は週3日は財団の仕事、4日は作家業という多忙な毎日。その思い切った決断に驚いた人も多いはずだが、当時、ご主人の三浦朱門さんは「得をするなら引き止めるかも知れないけれど、損をすることならやってみたら」
 とアドバイスされたとか。
「そうですねえ、無報酬であることを条件に引き受けたんです。あの当時、彼が言ったのは金銭の問題ではなくて、悪評にまみれることだったでしょうね。ですけど、私にはもともと失うべき地位も名誉も何もないから。作家という職業はそこが素晴らしいところで、最初から別にいい人だと思われていないの(笑)。善行だとか道徳的であることに縛られず、善も悪も書くわけですから、私は人から悪くいわれてもどうってことはないんです。
 財団とどんなしがらみがあろうとも、代議士のお頼みであろうとも、筋が通らなければお断りしています。逆に今、私に個人的に頼んでくるような方には、逆差別じゃないかと思われるくらいに、何もしません。ですから、どうか私には何もおっしゃらないでください、お金が出なくなりますからって言っているんです(笑)」


嫌いな人
「私には最初からどうにも仲良くできない人間が一種類だけいる。それは権力主義者です。ですからたいていの政治家とは肌が合わない(笑)。私は結果論として嘘をつく人は大好きなんですよ。ちょっと困ってその場を取り繕うために小さな嘘をつくなんていうのは微笑ましいですし、私もよくやっているから。でも最初から嘘をつかなきゃ成り立たないような職業に入っていく人は嫌いなんです。財団に入って偉い方々にお会いする機会が増えましたけど、今までに面白いと思った政治家は二人くらいしかいませんよ。一人はガーナ大統領のローリングス氏と昔、お会いしたんですけどイタリアのファンファーニ首相(元)。あとはみんな面白い話をなさらない。なぜかというと、本音を言えないから。だから私は偉い人に会うのはできるだけ避けて、なるべくフィールドに出ています。つまり生きた言葉を喋らない人は私にとってものすごく退屈なんです」


仮面
「私は今、日本財団の会長をやっていますが、壇上に立って挨拶する時などは備えつけの会長というマスクをひょいと被って、終わったらサッと取って降りてくる、そんな感じですね。だから今は日本財団の会長という顔をしていますが、何年間かの任期が終わればすぐに置いて出て来て、いい気分になるでしょうね(笑)。幸いなことに作家的な発言と日本財団の会長としての発言にズレがないんです。その確約をとってありますから、言ってはいけないことはありませんしね。何を言ってもいいんです」
 組織を愛するとろくなことがない、というのが持論。あくまでも任期中は精一杯、自分流でやるだけ。終わったら後の人の自由に任せるという。


 

今の日本には言論の自由があるなんて
嘘だと思いますね。
(『神の汚れた手』)


ものを言う勇気
「今は何を言っても殺されないから好きなことを言っているだけ。今の日本はせいぜい職場にいられなくなるくらいですよ。職場にいられなくなっても、なんとかして食っていける。田舎に引っ込んで畑を耕すとかね。ですから今の仕事をなげうつくらいの覚悟があれば、なんでもできます。でも、それを言ったら投獄されたり、殺されたり、配給がもらえなくなる国もある。私は状況を見てものを言ってますから、今ならせいぜい怒りの投書が来るくらいですね。
 私は1975年に中国に行って中国の悪口を書きました。その時に付近の警察から、何か変なことがあったら知らせて下さいと言われました。当時の文化人とマスコミの殆どが中国礼賛をやった。戦後の日本は言論の弾圧の連続でした。ですから日本のマスコミが言論の自由と闘ってきたなどといわれると笑ってしまいます。どうしたらそんな嘘が言えるんだろうと」


司馬さんのこと
「先日、司馬遼太郎批判を書いたら、ある大新聞社に書き直せと言われました。それほど言論の弾圧というのは今でも残っているんです。私は司馬さんの人柄を非難したことはありませんが、自分とは意見の違うところがあった。それに亡くなってからの司馬文学の神格化は、どうもおかしい。最近、私の他にもそういう意見をいう人がようやく出てきましたけれど、私、そういうことには昔から鼻が利くんですね。すべてのことに自由な批判があっていい。どこかが偏り出すと、すぐ感じるんです」


ボランティア
「ボランティアというのも、気持ちいい間はまだ本物じゃないんですって。癪に障って、もう嫌だ、やめようかという葛藤があって、初めて本物になる(笑)。
 たまに行って、いい気持ちになって帰ってくるなんていうのは誰にでもできることで、心底癪に障ることがあると正直に言えるような人が本当に人に何かしてあげている人だろうと思いますね。深く関わって、しかも決して見捨てないというところまで来ると、必ず嫌になることがある。それを越えてやることが本当のボランティア活動で、物質的、金銭的、心理的、時間的にどこかで自分が損をしなければならない。NPO法でそれをカバーしてもらおうというのは間違いなんです。
 たとえば、命の危険がないはずのところでも事故が起こることはある。もしそんなことになったら命の保障はどうなるのか、なんて言っているとボランティアなんてできない。極端な話、指が痛くなったら誰が保障してくれるのかと言っているのと同じで、私はそういうことでは本当の人道的活動はできないと思いますね。
 みんながわずかずつでも損のできることをする。
 本当は家でゆっくり寝ていたいのに、ちょっと早起きしておばあちゃんの家に行っておしめを替えたり、お掃除をする。あるいは、この1万円で前から欲しかったあのブラウスが買えるんだけどなあ、というお金を違うことに使う。そういう素朴さが本当のボランティアだろうと思うんです」


幸福の作り方
「たとえば怠け者と一緒にピクニックに行って、いつまでもぐずぐず何もしない人がいると、私は水くらい汲みにいったらどうなのよ、といじわるな文句を言うかも知れない。でも、怠け者というのはノイローゼにはならないからいいんですよ。
 だけど大きく見れば、“存在するものはすべてよきもの”だと私は信じているんです。
 世の中に存在するものはすべて役割があって、左利きが役に立つ時と右利きが役に立つ時があるように、繊細な神経を使う人が役に立つ時と、いい加減で大雑把な人が最終的に救ってくれる時もあるんですね。
 人によってみんな違うということをどれだけ早く発見できて、どれだけ本気で感謝し、エンジョイできるかということが、私の幸福に関係してくると思います。この世の中には他人の美点だけでなく、欠点のおかげで、という部分もあるんです。簡単にあの人はこうだから悪いみたいな言い方がいちばんつまらない。そういう言い方に終始する人とはどうも仲良くなれません」


女の美しさ
「幼稚園から大学まで17年間一緒だった同級生がいましてね。その中で優等生でもなんでもなかった人たちの何人もが、実にいい女になった。なんとも闊達で、人の生活にひきこまれず、噂を信じず、知ったかぶりして他人の悪口を言わず、人が買っても自分は買わず、欲しければ人が買わなくても自分は買い(笑)、本当にいい女たちになりましたね。こんなに賢い人だとは思わなかったわ、ってよく笑うんです。同級生を褒めるというのも変ですが、当時の聖心という学校は、決して秀才の学校じゃなかったんです」
 60歳になった時に、その仲間たちと韓国に旅行した。プサンで焼き肉食べ放題の店に入った。
「でも無駄な頼み方は一切しないし、そこに残っているビールで私、ちょうどいいわ、と言う人たち。買い物にしてもブランドものを買う人はほとんどいませんでしたけれども、たとえ買う人がいても非難はせず、安物の陶器を見ると、どうしてもこの悪癖だけは治らないわ、と自らの欠点を笑いながら買って。お互いの癖や欠点を知っていながら、笑って自立している。
 だから顔もイキイキしてますね。みんな楽しいことをそれぞれにやっていて、モノを捨てずにお料理が上手で。たとえば週に一度、余った大根の切れ端やらキャベツの芯を全部煮込んで、キリスト復活をもじった“レザレクションスープ”と名付けたり、残ったご飯にコーンを入れてクリームコロッケを作ったりするのが上手い(笑)」
 なぜお互いを許し合い、運命をおおらかに笑えるようないい女になれるのか。それは人さまざまで、これというひとつの答えはない。ひとりひとりが違った道を自力で歩んだ結果であり、それが人間の複雑さであると同時に、いとおしいものなのではないだろうか。


いい顔
「若く見える、と人にお世辞を言うことがありますけど、本当はおかしなことでね。歳相応に元気で、自分のやりたいことをしっかり持ちながら、人生の失敗を容認できるふくよかさのある人が私は好きですね。人はたいしていいこともしなかったのに幸運を得てしまうこともあるし、逆にどんなに努力しても不運に見舞われることもある。私は計算通りにならないことを容認できることが、本当の“ふくよかさ”のような気がするんです。その時がたとえよくなくても怒らずに、失敗したって人間には不運ってものがあるのよ、だからいい日もあるかも知れないって言える人。今は不運というものを容認しない人が多い。運が悪いというと怒られる(笑)。それは政策の貧困だといわれる。それもありますが、やはり自分の運命を容認するということがいちばん大切なんですね」


☆その・あやこ
作家。1931年東京生まれ。聖心女子大学英文科在学中に小説を書き始める。’54年「三田文学」に掲載された「遠来の客たち」が芥川賞候補に。世界各地を訪れた経験をもとに、人間の欲望、矛盾、老醜などの重いテーマを、宗教的良心を秘めた軽妙・明朗な文体で作品化し才女作家として活躍。’70年エッセイ「誰のために愛するか」は200万部のベストセラーに。作家活動の傍ら、今年で15回を数える「目の不自由な方の聖地巡礼の旅」の案内人など、長年にわたり社会活動を続けている。’93年日本芸術院会員、’95年日本船舶振興会(現・日本財団)会長に就任。’97年「海外邦人宣教者活動援助後援会」の活動により、吉川英治文化賞ならびに読売国際協力賞受賞。夫は文化庁長官も務めた作家・三浦朱門氏。

☆著 書:『失敗という人生はない』
      「総てのものを手に入れるには、代価を払わなければならない」。
      当たり前だけど忘れていたことから、思いもしなかった真理、
      心に浸みる一節を、粒ぞろいの著作の中から抜粋した珠玉の
      アフォリズム集。
      新潮文庫 476円

     『ギリシア人の愛と死』
      好色・嫉妬・策謀・生への渇望・死への恐怖…。
      神々の王ゼウスの掌で繰り広げられる人間と神の哀しくも滑稽な
      ドラマに時空を超えた人間模様を見出す。ギリシア神話三部作完結編。
      田名部昭 共著
      講談社文庫 544円

     『無名碑』上・下
      巨大な建設作業に従事する竜起は、容子と結ばれるが、娘の死や
      過酷な途上国での暮らしにより、彼女の心は壊れていく。
      自然の猛威と妻への愛に苦悩し尚誠実に生きる男を、情熱を注いで
      描く傑作。
      講談社文庫 各524円

     『極北の光』
      父親もわからず、母親にも捨てられた光子の頬には醜い痣があった。
      この痣がある限り愛されることはないと諦める光子の心は二つに
      引き裂かれ、波乱と非運の人生が始まった。
      重いテーマを問う力作。
      新潮文庫 667円

     『地球の片隅の物語』
      信じられない事実、感動せずにはいられない話、想像もつかない慣習。
      著者が、旅した国々の三面記事から選んだ話題は、好奇心を
      かきたてるものばかり。
      世界の広さ、奥深さを痛感する新刊。
      PHP研究所 1429円

     『夢に殉ず』上・下
      「楽しい方を取って暮らしてるのよ。その方が得だから」。
      無職、47歳、誰よりも妻を愛する男は、好きな女(妻以外の複数!)と
      時を過ごし、幸せに暮らしている。そんな男の心の闇に巣くうものとは。
      朝日文芸文庫 各620円

     『昼寝するお化け』
      「砂漠を原点として育つ人々は、パンは自分の食べる分を半分に
      してでも旅人に与えなければならない」。
      そんな当たり前のことがわからなくなった平和ボケした日本と
      日本人を捉え直す辛口エッセイ。
      小学館文庫 533円

     『辛うじて「私」である日々』
      日本は「いやなら出て行く」選択の自由が残されている自由社会である。
      にもかかわらず「いやな所に留まって文句を言う」人間が多いのは
      何故か?
      自分自身から社会全体を捉え直す傑作エッセイ。
      集英社文庫 457円

     『悪と不純の楽しさ』
      「三十五人の老人が、乏しい食料を少しでも子供たちの口に入れる
      ため、農薬を飲んで、集団自殺した」事実をどう受けとめるか。
      自称ヒューマニストが横行する現代の日本に鉄槌を下す痛快エッセイ。
      PHP文庫 540円

     『私を変えた聖書の言葉』
      堅苦しく思いがちな聖書は、実はこんなに楽しく身近で、発見が
      溢れている。私達が「どんな人間であるべきか」を心の弱さ、醜さを
      知りつくした上で、教え示してくれる。
      人生の指針となる一冊。
      講談社文庫 380円

     『絶望からの出発』
      子供が親に暴力を振るい続け、遂には父親が我が子を殺すという悲劇は
      何故起きるのか。
      深い人間理解をもつ、一人の母親の立場から、家庭教育を語り、
      教育の本質を突く曽野式実感的教育論。
      講談社文庫 369円

     『この悲しみの世に』
      不倫の愛におちた人妻と年下の青年。周囲を、自分たちをも傷つけて
      やまないその愛には更なる悲劇が用意されていた。
      巷で流行りの「不倫」とは違う、人間の弱さと精神の気高さ、至高の
      愛を伝える傑作。
      講談社文庫 544円

     『天上の青』上・下
      女性を性欲のはけ口の対象としか見ない連続殺人犯富士男の心にも、
      果たして神は息づくことができるのだろうか??。
      実際の事件を元に、綿密かつ大胆な解釈を加え、人間の可能性を問い直す
      迫力長編。
      新潮文庫 各629円

     『ほんとうの話』
      「強いものが勝つ」。この世界中で承認されている真理を、日本人は
      何故か公言したがらない。常識とヒューマニズムの裏に隠され、
      普段なかなか口に出せない「ほんとうの話」が詰まった痛快エッセイ。
      新潮文庫 362円

     『神の汚れた手』上・下
      「汚れていない手では、神でさえ働けない」。中絶される命もあれば、
      望んでも得られない命もある。
      生命の尊厳と人間の強さと脆さを描いた問題作は是非読んでおきたい、
      人間愛に溢れた傑作長編。
      文春文庫 各450円

     『飼猫ボタ子の生活と意見』
      「私は猫。牝。五歳。花の盛り」。
      どこかで聞いたような文でわかり通り、主人公は作家夫婦に飼われて
      いる、お尻がぼたっとした猫・ボタ子。ボタ子から見た人間と
      社会をユーモアと皮肉をこめて描く。
      河出文庫 560円
 



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