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冬の寒さが厳しくなると、必ずどこかの雑誌にオーロラの写真が出る。一九九二年、私もアラスカのフェアバンクスから少し入った土地へオーロラを見に行ったことがあった。その年の半ばから、私は『極北の光』という或る女性の半生を描く悲恋小説の連載を始める予定で、最後の舞台がアラスカの荒野に決まっていたからである。 オーロラは、北緯六五度のあたりで見えやすいという。それより北に光の多い大都市のないことも、よく見える条件の一つである。寒さは厳しく、雪や風が激しくない日が最高だそうだ。だからオーロラ観測にも運がいる。私は運のいい方で、六晩ほどいた間、毎晩見ることができたのである。 現場に行くまで、私はオーロラがどんな風にして出るのか全くわからなかった。時間的には夜十時から午前二時くらいまでの間が多いと言うので、私は観測の客がたくさん泊まっているホテルでは、「見えて来ましたよ」と鐘でも鳴らすと、皆がぞろぞろ起きて行くのかと思っていたのである。 ところが、オーロラは気配のあることもあるが、突然、音もなく電光石火のように現れる。そのままじっとしていることもあるが、瞬時にして姿を変えたり、消えたりする。だから見物の客は、暖房の効いた灯火のない観測室で、少なくとも午前二時くらいまではじっと起きて待つのである。 オーロラはステージのカーテンのような姿をしている場合が多い。そのカーテンの裾はしばしば近くの林の梢にひっかかってぱちぱち火花を上げそうに見える。しかし裾の高さは地上百キロ、カーテンの上端までは地上千キロあるという。いかなる飛行機もこの光のカーテンの裾にさえ触れることはない。 観測用のホテルには、日本人の若者がたくさんいた。たった五日の休みを利用して宇宙のロマンを覗きに来た人もいた。ヨーロッパへ買い物ツアーに行く人ばかりではないことが、私には嬉しかった。 しかし若くもない私は、若い娘さんたちから不思議がられた。 「一人で来られたんですか? ほんとに?」 「何か特別な目的があったんですか?」 外は零下十五度から二十度くらいだった。金物に触ると凍って張りつく、と言われたのでやってみたがそれほどでもなかった。しかしオーバーの懐に抱いて温めていたオートのカメラも、外に出すと瞬時に自動露出が効かなくなって、結局使うことができなかった。寒がりの私は、ホテルのヒュッテのベッドの上に持参した寝袋をおいてもぐり込んでいた。 私はさらにアメリカ大陸の最北端のバロー岬まで行った。あらゆる戸外の駐車場には一台ずつに電源が設置されていて、停車した自動車のエンジンをそれで温めるようになっていた。 土地ではオーロラとは言わず「ノーザン・ライツ(北の光)」と呼ぶ。
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