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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: 痩せがまん?並んでまで欲しがりません  
コラム名: 自分の顔相手の顔 39  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 1997/04/07  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   並ぶ、という社会習慣がある。郵便局とか銀行とか空港とか電車の乗り口とかで並ぶ習慣があると、実に楽で助かる。
 というのも、世界中には、どういうわけか決して並ぶことのできない性癖を持つ人たちがたくさんいるからだ。
 インドのライ病院にいた時、田舎へ出張診療に行くドクターについて行くと、目的地の村には既に登録された患者と初診患者が数百人も待っている。
 電気のない村の、コンクリートの箱のような建物を借りて臨時の診療所にするわけだが、ライはことに皮膚の状態を眼で見ることが大切なのに電気がないのだから、ドクターはできるだけ明るい軒先に椅子をおいて、患者を一人ずつ招き入れる。
 ところがこの患者たちが列を作って順番を待つということができない。我先にドクターの机の方に押し寄せるので、机が倒れそうになる。そこで体が大きくて腕力があり、ヒンズー語は喋れず、医学の知識もない無能な私は、患者さんの押し出し係になった。
 総じてアフリカの人たちもほとんど列を作れない。モロッコ人の多い土地で入国の手続きなどする時には、私の番はいつまで待っても、すべてモロッコの人に奪われてしまうのではないかと思うほど、割り込みがうまい。
 しかし並ぶという行為が、別の意味を持つこともある。かつての東欧では、人たちは何にでも並んでいた。一度人々の列の先を探ったらバターを売っていたことがあった。一人の婦人が、小さいランドセルくらいの量のバターを持って嬉しげに出て来たので、私は驚いてしまった。親戚の分まで運んでいたのかもしれないが、バターは多く食べ過ぎてもいけないし、第一に新しくなければいけない。
 列というものは、充分に物がある時なら並んだ方がいい。しかし手に入れにくいもので並ばなければ売り切りになる、という時に並ぶのはみじめだ。食料を手に入れるような場合は別だが、たまごっちなどに並ぶものではない。
 考えてみると、私は生涯痩せがまんをし通して、人が並ぶものにはほとんど並ばなかった。オウム真理教の麻原彰晃の裁判にも、デパートの福袋にも、駅などで県の物産の宣伝に貰える無料の水仙にも、並ばなかった。午後においしい天麩羅屋の前を通ると、サラリーマンたちに混じって並びたい誘惑に駆られたが、それでも並ばなかった。
 一つには気が短いから並ぶ時間が嫌なのである。並んで悪いわけではないが、しかし並ばないと決めるといいこともあった。
 しょっていると言われるかもしれないが、人と同じにならなくても、人の持っているものを持てなくても、得をしなくても、それを爽やかに思える癖がついたのだ。
 子供の時から、他人が持っていても自分が持っていないことや、他人が持っていなくても自分が持っていることに、淡々としていられる訓練をしておくと、実に楽でいいのである。
 



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