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著者: 曽野 綾子  
記事タイトル: お土産?こうして妥協と卑怯の人生に  
コラム名: 自分の顔相手の顔 388  
出版物名: 大阪新聞  
出版社名: 大阪新聞社  
発行日: 2000/11/21  
※この記事は、著者と大阪新聞社の許諾を得て転載したものです。
大阪新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど大阪新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
   インドを旅行している間、私はいろいろと雑用があって、お土産を買いに行くひまもなかったが、バラナシの最後の日に、町をよく知っている人が、場末の絹屋に連れて行ってくれた。
 その店を一目みるなり、私は気に入ってしまった。日本で言うと呉服屋なのだ。四畳半か六畳くらいの面積の店に白いカバーをかけた蒲団のようなものが敷いてある。壁の近くには丸いクッションもおいてあって、もたれかかるのも楽なようになっている。
 あちこち動き廻ってくたびれるより、靴を脱いでこの蒲団の上にゆっくり坐って、絹を見ている方が楽だ、という怠け心がむくむくと沸いて来たのである。
 どこの国でも「呉服屋さん」というものは労を惜しまないもので、次から次へと品物を拡げる。「スカーフ」と言えばスカーフがどさりと客の肩越しに放り出され、「ショール」と言えば何十枚ものショールが滝のように出て来る。そのうちに私たちは、胸まで絹の海に浸かるに違いない、と私は子供のような空想をした。
 同行者の中にサリーを実にきれいに着こなす女性がいて、皆その人の意見を聞いて色を選ぶことにした。インドでは美しく見えても日本に来ると着にくいという色もある。
 その人がサリーの布を見たいと言ってくれなかったら、私たちはスカーフとショールをお土産に買っただけで終わりになっただろう。インドの刺繍はいいものは全部手機で織ったものだという。ほんとうに豪華なものだが、値段は日本よりは安い。
 手のかかったものでも、スタイルが悪いから私はサリーのままでは着られない。夜の外出の時の服にして着るのだが、その生地をしみじみ見ているうちに、これを織った人の生活が見えて来るような気がしたのは、私一人ではなかったらしい。それほど私たちは、貧しい人たちの暮しばかりに触れて旅を終わったのである。
 中の一人は、話に聞いた子供の労働者のことを思い出した、と言った。まだ背丈も伸び切っていないような少女が、一日織っても数センチしかできないような機の織り子になって、安い賃金をもらっている。職場は埃だらけで糸くずを吸い込むので、そのために病気になる子もいるという。
 「チャイルド・レーバーを条件にできた商品を買うのは気がひけますね」
 という人はほんとうに誠実だと思った。私はドライだから、買った方がやはり子供たちにも仕事があっていいだろう、と思う。
 昔、まだ東京駅の八重洲口に年老いた赤帽さんの姿が目立った頃、私も年上の方に重い荷物を持たしていいのか、気の毒だから遠慮すべきか、少し悩んだものであった。しかしやはり職業としている人には頼んだ方がいいのだという答えになった。こうして迷って、結果はいつも妥協と卑怯の人生を送るのだ。
 



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