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何力月かぶりにヨーロッパを旅行者として動いてみると、素朴に日本とヨーロッパの違いを感じる。歴史的な建築物や家具調度の立派さに比べて、現代を生きる人々の暮しは、まことに質素なのである。 フランスの地方の一応四ッ星のホテルでも、廊下の電燈にはセンサーがつけてあって、人の気配が察知されると初めて点燈する。夫はセンサーと張り合って、「早くつけ、バカ、遅いぞ」などと天井の照明に向って悪ロを言っている。
トイレの電気も一定の時間が経つと消えてしまう。勝手のわからないレストランやホテルのトイレで急に電燈が消えると、「どうしてくれるのよ」という気になるのだそうだ。私自身はずっと視力が十分にない暮しをして来たので、家の中をやたらに明るくしていた。日本はやたらに明るいのを許される国だった。飛行機がヨーロッパを飛び立って、昔はよく南廻りをしたものだが、テヘラン、カラチ、ニューデリー、バンコック、香港と飛んで来ると、ずっと暗い大陸が続き、香港と日本の上空まで来て、初めて活気溢れる光の大都市が出現した、という感じだった。今はアブダビもバンコックも光の塊だろう。
食生活も質素である。バターなど高いから、土地でとれたドロドロのオリーヴオイルを使う。パンの上につぶしたニンニクを載せ、おいしい岩塩を振って、上から地酒ならぬ地オリーヴ油をかける。それと壜を持って買いに行くような計り売りのブドウ酒を飲んでいれぱ、満たされているのだ。
旅の途中、スペインの小さな田舎町のカフェで休憩した。私は三人の同行者を代表して、カウンターに、ミルク入りのコーヒーを頼みに行った。ふと見ると、前のテーブルの初老の夫婦もやはり同じミルクコーヒーを飲んでいる。上に注いだミルクの泡が、しっかりしたコーヒーの色となじんで、豊かな縞を作っている。
しかしその夫婦の所には、やがて私たちは注文しなかった物が運ばれて来た。厚さ五センチくらいに切った焼き立てのトーストである。上に充分につけたバターがしっとりと黄金色に輝いている。
夫はそのトーストを、ナイフで五つか六つに切り分けた。それを妻と分けて食べるのだ。すばらしいコーヒーは日本円で百二十円だった。トーストを入れても、二人で四百円にもならないだろう。時間は午前十一時、恐らく質素だけれど心満たされる夫婦のブランチ(朝昼兼用)の食事なのだ。
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